愛しい貴方にくちづけを (2)



「んーっと……ふぅ、今日は流石に張り切りすぎちゃったかな……」

 夜の帳の落ちた機動六課隊舎内はそれなりの静けさに包まれている。
 前線メンバーもオフシフトとなり、それぞれ余暇を趣味や鍛錬、または疲れを癒す為にそれぞれ利用している。

 エリオ・モンディアルもその一人。
 湯上りの彼は、頬を上気させながら、大きく伸びをしつつ自室へと向かっていた。

 彼の呟きが示すとおり、本日の訓練はエリオ自身の希望もあってハードワーク気味だったために、いつもより疲労を感じている。
 精神的には、まだまだやれないこともないが、疲れを残したままだと明日の訓練にも支障が出るだろう。
 実際、訓練終わりにシグナムから今日は自主練は控えるようにと釘を刺されているエリオであった。

 そんなわけで、とりあえず訓練から離れ、ひとっ風呂浴びたエリオは部屋へと向かいながらさて、どうしたものかと考える。
 大体、こういった空いた時間は他の前線メンバーとお喋りに興じたり、自室で本を読んだりするのが普段のエリオの行動パターンなのだが、そこで彼はふとある人物の事を思い出す。

「そういえば……フェイトさんはどこいったんだろう?」

 思い出したのは、今のエリオにとって一番大切な人のことであった。
 その割には、今の今まですっかりその存在を忘れていたようだが、一つのことに熱中すると他のことに無頓着になるエリオの悪い癖がでてしまっていたようだ。

 エリオにとって、フェイトが大切な存在であり、何よりも愛しい人であると言う事実は、勿論変わることは無いのだろう。
 だがエリオは『フェイトとデートしたい』だとか『フェイトといちゃいちゃしたい』だとか、そういった事はあまり考えない。
 というより、そういった思考回路をまったく持ってないといったほうが正しいだろう。

 そんなことより、エリオが考えるのは自らをより研鑽し、フェイトの隣にいて恥ずかしくないような立派な騎士に、一刻も早くなりたいと言った願いであった。
 そんなわけで、必然的に鍛錬の密度は濃く、訓練に割く時間は増え――結果、フェイトと二人きりで会ったりするような事は殆ど無くなっていた。
 奇しくもそうなったのは二人がきちんとお付き合いし始めてからというのだから、おかしな話である。

 とは言え、エリオだってフェイトの事を避けているわけではない。
 機会があれば、フェイトと他愛ないことでもいいから話あったりしたいとは思っている。

 フェイトもこの時間はオフタイムだったはずだ。ならば今がそのちょうどいい機会ではなかろうか。
 そう考えたエリオは、さっそく思念通話でフェイトに呼びかけてみる――が、

「あれ? 繋がらない……? まだ仕事してたりするのかなぁ……」

 エリオの呼びかけに、フェイトからの応答はなかった。
 その事実に思いのほかダメージを受けている自分がそこにいた。
 フェイトの声が聞けなかったことに落胆し、肩を落とすエリオ。

 一瞬、こちらからフェイトに会いに行こうかとも思ったが、どこにいるかも解らぬ上、仕事中だったら邪魔をしてしまうかもしれない。
 そう考えたエリオは、結局後ろ髪を引かれる感覚を味わいながらも、とぼとぼと自室へと向けて歩を進めた。

「今日はもう、早めに休んじゃおうかなぁ……」

 完全にすることもなくなり、重い溜息を付きつつエリオは自分の部屋の前に辿り着く。
 扉の横に、設えられた端末に手を翳すと瞬時に認証が終了し、そのまま部屋の扉は自動的に横にスライドして、部屋の中の様子をエリオに晒した。

「お、お帰りなさいませ、ご主人様!」

 金髪ツインのメイドが御出迎えしてくれた。

 エリオはそのあまりにも非現実的な光景を表情一つ変えることなく、沈黙したまま見守っていた。
 なんらかのリアクションをとろうにも、目の前にある光景があまりにも突飛過ぎて、脳が現実を受け入れないのだ。

 しかし、視界から入ってくる情報はエリオの脳に次々と届けられる。
 メイドである。とても立派なメイドが自分の部屋にいる。
 品のいいエプロンドレスの裾を僅かに摘み、眩い微笑を浮かべたまま、貴族の令嬢のように僅かに頭を下げるメイド。

 ただ本人はやっぱり恥ずかしいのか、その頬には赤みが差してるし、全体的に慣れない事をしている所為か、ぎこちなさが滲み出ている。
 だが、それを差し引いたとしても、その姿は可憐極まりなく、美しい代物だった。

 しかし、エリオはそんな美しさ云々の前に目の前に起きている出来事に対応できぬまま、ただ時間だけが流れる。
 メイドも頭を下げたまま硬直し、沈黙が場を支配思想になった時、扉が自動的に音を立てて再び閉まった。

 結果、エリオの視界は白い自室の扉だけが占めることになり、そのおかげでどうにか自我を取り戻すことが出来た。
 今起きた出来事を整理する為に、エリオは額に手を当てる。

「メイドさんが……いた」

 自分で呟いて、頭が痛くなってきた。
 しかも、あのメイド、なんだかとてもよく知っている人っぽかったというか、完全に顔見知りだったんだが、こういう場合はどうすればいいんだろう――などと、頭を悩ませるエリオ。

 とりあえず落ち着こうと、自分に言い聞かせる。
 そう、先程見たアレはもしかしたら幻覚の類か何かかもしれない。
 先程まで、会いたいと思っていたが故にそんな幻を見てしまったのだ、とエリオは自分に言い聞かせる。

 それが儚い願望でしかないことは彼自身理解していたが、そう考えでもしないとこれ以上前へ進めそうになかった。
 どちらにしても、もう一度部屋の中を確かめる必要がある。そう考えたエリオは再び端末に手を翳した。

 扉が音もなく横へとスライドする。その向こうでメイドの出迎えは――無かった。
 それが当然といえば当然だが、「おかえりなさいませ」だの「ご主人様」だの危険なキーワードが流れてくることは無かった。
 そうだ、それが当たり前の光景なのだ。この現代社会でそんな時代錯誤な出迎えをするメイドがいるわけがないのだ。

「わ、私何か失敗しちゃったかな!? こ、こうすればオトコノコはイチコロだってはやては言ってたのに……」

 変わりに、部屋の隅で慌てたようになにやらマニュアルっぽいものを読み耽るメイドが居た。
 やっぱり、メイドだった。

 そんな光景に、再び頭痛を覚えるエリオ。
 どうやら向こうはこちらが見ていることに気付いてない様子で、背を向けたまま何かを読み続けている。
 このまま放置して、どこか遠くへ行こうかと一瞬考えたエリオだったが、愛する人のために意を決して声を掛ける。

「あの……なにやってるんですか、フェイトさん?」
「ひ、うひぃっ!?」

 その背中に声を掛けると、メイドはまるでバネ仕掛けの人形か何かのようにその場から飛び上がり、驚きの表情のままこちらへと視線を向けてきた。
 そこにいたのはやはりフェイト・T・ハラオウンその人である。
 髪型がバリアジャケットの時と同じようにツインテールになっているのと、なにやら獣の耳っぽいカチューシャをつけている所為で印象は随分と違うが、エリオが彼女の事を見間違える筈もない。

「ど、どどど、どうしたのエリオ!?」
「いや、どうしたのって、それは僕のほうが聞きたいんですけど……ここでなにやってるんですか、フェイトさん?」

 混乱覚めやらぬまま、あたふたと慌てふためくフェイト。
 とはいえ、ここがエリオの自室である以上、フェイトがなんらかの目的でここに来たのは確かである。
 それを聞かぬことには、エリオも対応の仕様が無い。

「お、おおお落ち着いてエリオ、ちょっと時間を頂戴!」
「は、はぁ……」

 こちらに平手を向け、止まれとジェスチャーで示すフェイト。
 確かに、このままだとまともに会話すら出来そうにない。
 間を空けるのは得策だろう。故に、エリオもそれ以上追求することはなく、フェイトは落ち着くのをひたすら待つ。
 その結果――

「ご…………」
「…………ご?」

 必死な様子でフェイトが紡ぐ音を、エリオは鸚鵡返しに繰り返す。
 そして、

「ご、ご奉仕するにゃん♪」

 猫のようなポーズをとって可愛らしくウィンクしながら叫ぶ金髪ツインテールメイド。
 見る人が見れば、破壊力抜群の代物だっただろう。
 だが、

「……………は、はぁ?」

 エリオは萌えと言うジャンルがいまいちよく解っていなかったようで、どこか気の抜けた返事を返すだけだ。
 フェイトの事はかわいいと思うが、そのポーズがどういった意味を持つのか、彼はまったく理解していなかった。

 謎の萌えポーズをとったまま、完全に固まってしまうフェイト。
 何時まで立っても、彼女はそこから動こうとはしない為、エリオの胸中にも新たな不安が生まれる。
 なにか、自分はここでリアクションしなくてはいけないのではなかろうか、と。

 そうだ、これは試されているのだ。
 フェイトのパートナーとして、彼女が紡いだフリを受け止めなければならないのだ。
 そう考えたエリオは、拳を握ると恥ずかしさをこらえて、叫んだ。

「にゃ、にゃーん」

 意思を疎通させるかのようにフェイトと同じポーズをとって、恥ずかしげに呟くエリオ。
 猫ポーズをお互い晒したまま固まるカップルがここに存在していた。

 そして、結局、フェイトは汗を掻き、顔を真っ赤にした後、ぷるぷると震えだしたかと思うと――

「うわあああああああああああん!! はやてに騙されたぁ!!」


 フェイトは涙目で、どこかへと走り去ってしまった。
 
 残されたエリオは一人、猫ポーズを崩さぬまま、走り去っていくツインテールの金髪メイドの後姿を眺め「何を間違ったんだろう」と、真剣に悩み続けていた。


 ◆


「ふへー、生き返るぅ……やっぱり訓練の後の締めはお風呂だよねぇ」
「アンタ本当に風呂好きよね。いつかふやけるんじゃないの?」
「ん、でもスバルさんのお肌すべすべですし。私いつもうらやましいなぁって思ってるんですけど」

 他愛ない言葉を交わしながら隊舎の廊下を歩くのはスバル・ティアナ・キャロのフォワードチーム三人娘だ。
 お風呂上りなのか、肌を上気させながら歩くその姿はさながら仲の良い三人姉妹といった様子だ。

 と、そこで先頭を歩くスバルが足を止めた。
 ん? と不思議そうな表情を浮かべ廊下の向こう側を目を細めて注視し始める。

「なにやってんの、スバル?」
「えっと、なんか今、悲鳴っぽいのが聞こえたような……?」

 ティアナの問いかけに、彼女自身いまいち理解してない様子でそんな事を呟く。
 そんな彼女の言葉につられるように、ティアナとキャロもスバルの見つめている先に意識を向けると、なにやらそちらから床を踏む音が聞こえる。連続して響くその足音は疾走を思わせる速さでこちらに向かってきており、ついでにスバルの言葉通り、なにやら叫び声を付随させていた。

「うわあああん! もうお嫁にいけないー!!」

 そして次の瞬間、スバルたちの真横を通り過ぎるようにしてなにか金色で、ついでにメイドっぽい何かが駆け抜けていった。
 どこかで見覚えのある声と容姿の人物ではあったが、声を掛ける間などなかったし、突然の事態にスバルたちも若干混乱気味のまま人影が走り去った方向へと視線を向ける。

「えっと、今の……?」
「フェイトさん、よね?」

 スバルとティアナがそれぞれ確認するように言葉を交し合うが、答えはもはや手の届かぬ遥か向こう側である。
 ただ、キャロだけはほんの僅かに眉根を寄せてフェイトが走り去っていった方向を見つめ続けていた。
 そんな彼女たちの背後から、再び足音。それはやはり駆け足に叫び声が付いた物で、

「ま、待ってくださいフェイトさん! なんで逃げるんですかー!?」

 赤毛の人影が、風のように再び真横を通過していく。どちらもスバルたちの存在に気付く余裕はなかったみたいで、完全にスルーである。
 そんな彼等が走り去った方向に、意識を向けて耳を澄ましてみれば、

「こ、こないでぇ! 見ちゃだめぇー!!」
「と、とりあえず落ち着いてください! 僕が何かしたんなら謝りますから!」
「そうじゃなくて、なんていうか、これはそのあの……うわああああああんっ!」
「なんで泣くんですか!? ちょっとフェイトさん! 待ってくださいって!」
「うるせーっオマエラッ! 痴話げんかなら外でやれーっ!!」

 などと、風に乗って聞こえてくる。
 それらの情報を汲み取った、スバルとティアナはお互いに小声で、

「ね、ねぇティア。これってそのヴィータ副隊長の言うとおり……アレなのかな?」
「う、うん、おそらくアレだけど、その、ここはスルーした方がいいような気も」

「…………ふぅ」

 人影が走り去っていった方向を向いたままのキャロの吐息に、二人の少女がビクッと背筋を伸ばした。
 なにやらその小さな背中からはドス黒いオーラが噴出しているように見えなくもない。

「あ、あのー、キャロ。その……なんていうか……」

 なんとか事情を知るスバルたちはなんとかそんなキャロにフォローを入れようとするが、うまく言葉に出来ない。
 彼女達は身も心も凍るような静謐さをひしひしと感じながら、その小さな背中にお伺いを立てるが、

「なんていうか、エリオくんもフェイトさんも相変わらずですねぇ」

 返ってきたのは「しょうがないなぁ」とでも言いたげな笑みを含んだ溜息だ。
 まるで気負いの感じられないその様子にスバルたちの方が面食らってしまう。

「あ、あのさぁティア。キャロのあれってやせ我慢とかじゃないよね?」
「と、とりあえず見た限りではそうみたいだけど……」

「なに二人だけで内緒話してるんですか?」

「「ひひゃぅっ!?」」

 こそこそと二人で言葉をかわしあっていると、キャロが突然こちらを振り向き、思わず頓狂な悲鳴をあげるスバティア。そんな二人の様子にキャロは楽しそうに笑みを漏らす。

「そんなに気を使わなくても大丈夫ですよ? これでもそれなりに心の整理はついてますから」

 気を使ってもらっている事に感謝しつつ、自分はもう大丈夫だと語るキャロ。
 そこにはやはり無理をしている様子はなく、彼女の中で既に一段落していることなのだろう。
 だから、

「それに、私もまだ諦めたわけじゃありませんし。あんまりフェイトさんが不甲斐ないようでしたら、奪いとる準備はいつでも万端です」

 ふふふ、と妖艶に微笑むキャロ。失恋イベントを乗り越えた所為か、随分と性格が変わったような気がする。これも成長というのだろうか?

「おおっ……キャロがなんだか悪女風味だよ、ティア!?」
「た、確かになんか今のあの子には妙な迫力があるわね……」

 そんなキャロを畏怖と憧憬の視線で見つめる恋愛経験皆無な二人であった。
 二人のそんな眼差しを受けつつ、キャロは再び視線をフェイトたちが走り去った方向に向け、小さく呟く。

「だから、もっと頑張らないといけませんよ。フェイトさん」

 その囁きはどこまでも楽しげな言葉だった。



前話へ

次話へ

目次へ

↓感想等があればぜひこちらへ




inserted by FC2 system