愛しい貴方に輝きを (3)


 フェイト(5)

 フェイトはいま自分の中にある気持ちを確かに感じていた。
 ティアナに自分の思いを話しているうちに、胸に灯るその思いは確かに大きくなっていくのを感じる。

 対するティアナは反比例的に、どこか疲れたというか、もうお腹一杯ですと言いたそうな表情を浮かべていたが、フェイトは最後までそれには気づけなかった。
 そんなこんなで、ようやく執務官試験対策の授業を終え、フェイトはご機嫌で帰途についていた。
 漏れ出る笑顔は、何処までも嬉しそうで見るもの全てに幸せを分け与えているようである。

「んー? なんやご機嫌そうやなー、フェイトちゃん」

 そんな彼女の背後から見知った声が掛けられる。
 我知らず笑みを浮かべたままフェイトが振り返ると、そこには楽しそうに表情を歪ませる八神はやての姿があった。

「あっ、はやてっ。お仕事終わったの? 疲れてない?」

 ニコニコと幸せオーラを振りまきつつはやての方へと近づくフェイト。
 そんな彼女の姿にはやては思わず、身を引いてしまう。

「フェ、フェイトちゃん?」
「ん? どーかしたの、はやて」
「あ……いや、なんや見たこともない態度やから、ついニセモノかなんかかと……」

 額に汗を浮かべつつ尋ねるはやて。
 確かに、相好をふにゃりと崩して笑みを浮かべるフェイトの姿は珍しいと言えば珍しい。
 しかし、フェイトはそんなはやての疑問にも頬に手を当てつつ、

「えー、そんなことないよぅ、やだなぁはやてったら」
 うふふふ、と底抜けに楽しそうに微笑むフェイト。
 あかん、こら重症や……、とはやては誰にも聞こえないように小さく呟く。

「まぁ、今から部屋に遊びに行こうかって思うとったところやし、フェイトちゃんがおかしくなった理由はそっちで聞かせて貰おうかな……」
「もう、やだなぁ。おかしいだなんてヒドいよはやてー、うふふふふ」

 まったく引き締まることの無い表情のフェイトを引っ張り、とりあえずとなのはも待っている部屋へと向かうはやて達。
 JS事件の際には仕事も忙しく、プライベートで集まることは滅多に無かったが、六課も落ち着き、目立つ事件も少なくなった現在、偶に時間の空いた時にはやてはフェイトたちの部屋へよく遊びに赴く機会が増えた。

 話す内容は、六課の今後や新人達の育成状況なども含まれるが、基本的にはオフタイム。
 彼女達も年齢に相応しい話題なども上げたりする。
 そんなワケで、部屋の前に辿りつくとはやてが開けるまでも無く、向こう側から扉が開いた。

「あ、はやてちゃんいらっしゃーい。フェイトちゃんもおかえ……り?」

 顔を出したなのはは、そこで先頭に立つはやてを笑顔で向かえ、その後にフェイトに視線を向けるがそこで首を傾げる。
 出掛ける時は悩みを抱えたままどんよりと出発したフェイトが、なにやらご機嫌そうにニコニコと笑みを浮かべているのだ。
 フェイトの事をよく知るなのはでも、さすがに不思議に思わずには居られない光景だろう。

「はやてちゃん……フェイトちゃんになにかした?」
「いや、私が会ったときからこんな調子でな……」
「もう、なのはもはやても、私そんなにおかしくないよー」

 変だ。
 頬に手を当てつつ照れるように呟くフェイトを、残りの二人は訝しげな視線で眺めつつ頭の中で呟いていた。

「ま、まぁ立ち話もなんだから、とりあえず中に入って、ヴィヴィオももう寝ちゃったし」
「せやな、話は中でたっぷり聞かせてもらおうか」

 とりあえず、照れ続けるフェイトを引き連れて二人は部屋の中へと。
 そんなわけで、簡単な宴が催されることになった。

 リビングのテーブルの上には持ち寄ったお菓子やジュース。
 こういったものを囲んでお喋りに興じるところはまさに女の子と言ったところか。
 責任ある立場にあるとはいえ、彼女達もまだ十代のうら若き乙女なのである。

「それで、なにがあっはん?」

 菓子を加えつつ喋るはやて。語尾がおかしな感じになってしまっているが、そこはご愛嬌と言ったところだろう。
 そんな彼女の視線は当然のようにフェイトに向けられている。なのはのそれも同様だ。
 そんな二人の視線に晒され、フェイトはひとまず息をつく。

 さすがに何も無かったと強弁に跳ね除けるつもりはなかったし、この二人の親友には聞いて欲しい事実でもあった。
 それでも、フェイトはそれを言うのに、僅かな緊張を覚え、それでも小さく呟く。

「えっと……その……私ね、エリオの事が……好き、みたいなんだ」

 瞬間、頬が赤くなっていくのを自分でも感じ、恥ずかしさから両手で顔を多いその場に蹲るフェイト。
 きゃあ、言っちゃった。ど、どうしよう! と言語ではなくリアクションが盛大に語っている。
 しかし、そんなフェイトの一世一代の告白に友人二人からの反応は無い。
 どうかしたのか、と不思議に思い、怖々と顔を上げてみると、

「…………はぁ」
「…………えっと、それで?」

 なのはとはやては、どちらもなんとも言えない様な表情を浮かべたままフェイトを不思議そうに見詰めていた。

「え? あれ!? ど、どうしたの二人とも、や、やっぱりおかしい? おかしいかな!?」

 どうにも祝福されているような雰囲気では無いようで、フェイトは慌てて尋ねてみる。
 しかし、慌てふためくフェイトに二人は首を傾げたままである。

「えっと……そうじゃなくて、他に何か無かったのフェイトちゃん?」
「なにか……って、なに?」
「いや、例えばエリオに告白してうまくいったとか」

 はやてのそんな質問に、フェイトは慌てて首を横に振る。

「な、なななな、何言ってるのはやて。そんなの無い。無いよ、全然!」

 真っ赤になりつつ否定の言葉を連ねるフェイト。
 そんな彼女の様子を見た後、なのはとはやては顔を近づけあい、

「フェイトちゃんって、恋愛耐性低いとは思うとったけど、これは凄まじぃない?」
「いや、でもフェイトちゃんの性格からしてちゃんと自覚しただけでも確かに凄いことだと……」
「せやけどなぁ、なんや前途多難って言うか、なんていうか」
「な、なんとかなるんじゃないかなー、あはははは」
「いや、やっぱここは友人として私らがなんとかせなあかん!」
「って、言っても私もはやてちゃんもそういった経験殆ど無いんじゃないかな……」
「言うな〜! それ以上皆まで言うな〜!」
「あ……うん、そのなんだか、ごめん」

「あ、あのー、なのは? はやて?」

 二人だけで内緒話をしてたかと思うと、突然がくりと力なくその場に突っ伏す友人二名。
 そんな様子にオロオロするしかないフェイトでは合ったが、暫くした後に二人はすくっと立ち上がった。

「落ち込んでてもしゃーない! いまはフェイトちゃんの事や!」
「うん、そうだよね! 自分達のことはひとまず置いておいてフェイトちゃんだよね!」

 美しき友情であった。
 しかし、どうにも要領の得ないフェイトは不思議そうな表情を浮かべるだけである。

「うーん、とりあえずフェイトちゃんの方は気持ちが固まってるみたいだから……」
「せやったらYou告白しちゃいなよ」

 こちらを指差して軽快にそう呟くはやての妙なノリに困ったような表情を浮かべるフェイト。
 しかし、その言葉の意味を徐々に理解すると瞬間湯沸かし器もかくやと言うスピードでフェイトの頭が沸騰する。

「こ、ここここ告白!? だ、誰が誰に!?」
「いや、この展開でフェイトちゃんがなのはちゃんに告白するのも面白そうではあるけどな」
「それはただ単にはやてちゃんが面白いってだけじゃないのかな……?」
「まぁ、それはともかく、もちろんエリオに決まっとるやん?」

 なにやらどす黒いオーラを発し始めたなのはから視線を外し、簡潔に答えを述べるはやて。
 しかし、フェイトはそんなはやての言葉に首を激しく横に振る。

「む、無理。絶対無理だよ! だ、だって私が告白なんかしたらエリオ困っちゃうかもしれないし……それに……」
「むー、まぁエリオの年を考えると今すぐよりは、もうちょっと年を経てからの方が常識的かも知れんけど」
「だ、だよね! そうだよね!」
「でも、そこまでフリーである可能性は限りなく低いんちゃうかなぁ?」
「ひ、ひぃ!?」

 はやての言葉に小さく悲鳴を上げるフェイト。
 そんな彼女の様子に、はやてはニヤリと楽しげな笑みを浮かべる。

「まぁ、フェイトちゃんが好きになるくらいやから、そこそこの年になればイイ男になっとるやろうし……うむ、そうなったら私も思わず手が出てまうかも――」
「だ、だめっ! 絶対ダメ! それだけはダメなのー!!」

 フェイトを焚きつけるためだけの冗談だったのだが、過剰反応の後、フェイトに襲い掛かられるはやて。
 がくがくとはやての肩を掴み、前後に激しく揺さぶりながら涙目で抗議してくる。

「わ、解った。とらへん! とらへんからちょっとタンマ!」
「ふーっ、ふーっ!」

 フェイトをなんとか押さえ込み、攻撃から逃れるが、未だに警戒した猫のように唸るフェイト。
 恋は盲目と言うが、いつもクールな彼女からは些か目を疑うような行動である。
 そんなフェイトの様子に、いままで黙していたなのはがぽつりと呟く。

「うーん、でもはやてちゃんの言うことももっともだと思うよ」
「し、信じていた親友にまで裏切られた!?」

 ショックを隠せぬ表情でなのはのほうを振り向くフェイト。
 そんな彼女の視線になのはは困ったように首を横に振る。

「いや、私がじゃなくてね……でも、エリオは確かにいい子だと思うから、エリオのことを好きになる子はこれから絶対に出てくると思うよ?」
「う……それは、エリオは凄く優しいし、カッコいいから絶対誰かは好きになると思うけど」

 なのはの諭すような言葉に、冷静さを取り戻しつつ呟くフェイト。
 その後ろではやてがむくりと起き上がり、憮然とした表情で呟く。

「どうでもええけど、私は『信じていた親友』カテゴリに入らんのかい。ちゅーか、途中から惚気になっとるでフェイトちゃん」
「フェイトちゃんはそれでも、エリオにずっと自分の気持ちを隠しておくの? それでフェイトちゃんはいいの?」

 はやての言動を無視して、続けるなのは。
 部屋の隅っこで六課の最高責任者がイジけ始めた。

「このままずっと黙ってることがいいことかどうかは解らない……けど……」
「拒否されるのが怖い?」
「そう、なのかもしれない……」

 言われ、フェイトは小さく頷く。
 それは何も自分に女性としての魅力が足りないから告白するのを恐れているわけではない。

 エリオには、もちろんエリオの意思がある。
 振られるという未来は、フェイトにとってとても悲しいものだろう。
 それでも、それがエリオの出した答えならば諦めることのできる程度にはフェイトは覚悟している。
 ただ、どのような答えであれ、エリオが傷つくことだけは、耐え切れそうに無かった。

 フェイトは、いや、フェイトだからこそ解る。

 彼女は幼い頃、一つの言葉を突きつけられたことがあるから。
 出来損ないと。失敗作と。
 それがプロジェクトFによって生み出された存在に付き纏う重い十字架である。

 それはエリオもまた同様だろう。
 フェイトは幸いなことに、崩れそうになる自分を支えてくれた人が居た。
 目の前に居る、この親友が自分を助けてくれた。

 だが、エリオはどうなのだろう?

 確かに、フェイトはエリオを救った。
 今のエリオが笑顔で居られるのは、どうしようもない暗闇の中からフェイトが助け出し、その後もずっと支え続けた結果だろう。
 だが、エリオの内に存在する暗闇を全て払拭することが出来たとはフェイトは思わない。

 フェイトだからこそ、それを信じることは出来なかった。
 自分が作られた存在であると言う確執はそう簡単に払拭できるものではない。

 大事な人に、見放された。そんな思い出があるならなおさらだ。
 フェイトを支えてくれた親友達、温かく迎えてくれた新たな家族、そして辛い過去との決別があったからこそ乗り越えることが出来た。

 だが、エリオはそれを乗り越えられたのだろうか?
 そうであればどれほど素晴らしいことだろうか?

 それは、自分がエリオを支えることができたと言う証左である。
 けれども、それを確かめるにはフェイトは未だに勇気を持てずにいた。

 思えば以前、自分がエリオに好きという感情を抱く前もそうだった。
 保護責任者という立場にいながら、フェイトはエリオに家族になろうと持ちかけたことはない。
 かつて、リンディ・ハラオウンがフェイトにそうしてくれたように仮初でも家族でいようと言った事は無い。
 自分が未だに周囲の人間と比べれば年若いと言う事もある。法律的にもエリオやキャロと家族になることはまだ難しいだろう。
 だが、そんな形骸的なものだけではなく、フェイトはそう進言することに躊躇いを覚えていた。

 家族になろうと、言うことが出来なかった。

 それが、エリオの心を更に深く傷つける行動になってしまうのではないか――そう思ったからだ。
 優しさは時に何よりも残酷な一撃になる。
 だからこそ、フェイトはエリオと保護責任者以上の関係になることを、恐れてもいた。

 今もそうだ。
 細かな状況の違いはあれど、自分達は新たな関係に進もうとしている。
 フェイトの――言うなれば身勝手な感情に基づいて。

 それにより、エリオが傷ついてしまうのが――怖い。
 それは、どうしようもなく、恐ろしい。

「結局のところ、似たもの同士ってことなんやろなぁ」
「え? 何か言ったはやて?」
「んにゃ、独り言。まぁフェイトちゃんの気持ちも解らんでもないけどな、私からしてみれば怖がることなんてないと思うんやけどなぁ」

 はやてはストローを口に咥えたまま呟く、あまり真面目に話しているようには見えないが、友人が真剣に悩んでいるときに茶化すような人間ではない。
 その証拠に、なのはもそのとなりで力強く頷いていた。

「うん、私もそう思うよ。きっと、なんとかなるって。だってフェイトちゃんはエリオのことちゃんと大切に思ってるもん」
「それに、それぐらいでヘコたれるような軟弱物に育ててないやろーしなぁ、高町教導官?」
「それはもちろん、当然だよ!」
「はやて……なのは……」

 二人の親友の言葉はフェイトに勇気を分け与えてくれる。
 必死で励まそうとしてくれているのが解る。
 だから、自然と両の瞳からは大粒の涙がぽろぽろと零れてきてしまった。
 この二人と出会えたことが、本当に、本当に嬉しく思えたから。


 ●


 エリオ(5)


 エリオは自分の中に在る気持ちを確かめようとしていた。

 時刻はもう夜半、スバルとも別れ、しかし宿舎に帰る気持ちにもなれず、エリオは一人、夜空を見上げている。
 考えるのは、今日出会った人達との会話。そして一人の女性のこと。

 ヴァイスに言われた――よく考えろと。

 今はもう解る。
 自分がフェイト・T・ハラオウンを好きだということ。

 家族としてではなく、たった一人の女性として彼女が特別であることを。

 まだ、幼いエリオにはそれが本当に恋愛感情なのかどうかは解らない。
 もしかしたら、それは憧れにも似た感情なのかもしれない。

 それでも、彼女が特別だということだけは確かだった。
 エリオにとって、フェイトは誰よりも共に在りたいと願う存在だった。

 だが、その感情はエリオに安堵を呼び起こす事はない。
 感じるのは、どうしようもない程の恐怖だ。

 スバルは言った――逃げちゃダメだと。

 彼女の言うとおりだと思った。
 エリオは最初からフェイトを思う気持ちを自覚していながら――いや、自覚していたからこそ、己の思いに蓋をした。

 そうしなければ、立っていられなかったら。
 誰も騙すことの出来ない嘘だとしても、そうしなければ恐怖に押し潰されそうだったから。

 捨てられるかもしれない。
 その言葉がエリオを縛り続けていた。

 彼らの関係を知るものなら誰もがこう言うだろう――フェイトがエリオを捨てる事なんてありえない、と。
 しかし、エリオは。エリオだけはその言葉を心の底から信じる事はできなかった。

 なぜなら、エリオは知っている。
 どれほど、大切に思っていようと、残酷な別れは無慈悲なまでに襲い掛かってくるということを。

 エリオは身をもって体験している。
 だから、恐ろしい。怖くて怖くて堪らない。

 きっと、この呪縛から逃れる事は一生できないのだろう。
 それはエリオ・モンディアルという少年がずっと背負っていかなければならない十字架だ。

 果たして、自分はそんな重荷に耐えることが出来るのだろうか?

 自分がその重荷に抗いきれず潰れるだけならば構わない。
 それは、エリオ自身の問題だ。それに関して誰かを恨む気持ちはエリオにはない。

 だが、その結果フェイトが傷ついてしまったら、エリオは耐えられない。

 きっと、エリオが傷ついたとき、彼女もまた悲しんでしまうのだろう。
 自惚れなんかじゃない。それほどまでに、彼女は優しいから。

 だから、エリオは自分の思いを告げる事などできなかった。
 悲しそうに、涙を見せるフェイトの表情を見る事などできはしなかった。

 だから――だから、エリオは。
 それが自分の事を心配してくれたすべての人の裏切りと知りながら。

 それでも、自分の気持ちを全てを忘れようとした――

「こんばんわ、エリオくん」

 だから、全てを決めた時。そう声をかけられて――エリオは驚きを隠せぬまま振り返った。
 キャロ・ル・ルシエが柔らかな笑顔を浮かべてそこに居た。


 ●


「キャロ……?」
「こんばんわ、エリオくんも夜のお散歩?」

 いつもと変わらぬ視線、いつもと変わらぬ微笑でキャロはそこに立っていた。
 何故か、いまはその笑顔を向けられるとひどく胸の奥が痛んだ。

 だから、エリオは思わずキャロに向けた視線を外してしまう。

「…………エリオくん?」

 そんなエリオの態度に、キャロは不安げに尋ねてくる。
 その声音に、エリオもようやく冷静さを取り戻した。
 できるだけ、意識して笑顔を作り、再びキャロの方へと視線を向ける。

「うん、そう散歩だよ……そろそろ戻るとこだったんだ、この季節になると夜は寒いしね」

 いつもと変わらぬように。
 これ以上、何かが壊れぬようにと願いながらエリオは言葉を紡ぐ。

 けれど、それは無理に作り出した劣悪な仮面でしかなかった。
 他の誰かなら騙す事が出来たのかもしれない。

 それでも、

「エリオくんに……そういう顔は似合わないよ」

 キャロに通用するわけが無かった。
 それでも、エリオは零れ落ちた仮面のカケラを無様に拾い集めて付け直そうとする。

「え……っと、そんな変な顔してる? ははは、寒くて顔が引き攣っちゃったかな?」

 無為な笑いをあげて、顔を隠そうとするエリオ。
 必死に何かを隠そうとするエリオの様子に、キャロは悲しげに表情に影を落とす。

「エリオくんは、何にもないのにそんな笑い方しないよ」
「……なんで……そんなこと?」
「解るよ。だって、エリオくんのことずっと見てるんだもん」

 そう言って、微笑むキャロ。
 その微笑みは、これ以上嘘を重ねる事が無為でしかないと理解するには十分すぎる程のものだった。

「キャロはやっぱりすごいね……」
「そんなこと無いよ。きっと誰だって解ることだよ――それが大切な人ならなおさらね」
「そう……かな」

 キャロの言葉に、首肯する事はできそうになかった。
 今の自分は、きっと大切な人の気持ちを解ってあげる事はできそうになかったから。

「よかったら……聞かせてくれないかなエリオくんが、何で悩んでいるのか……」
「僕は――」

 慰めてほしかったのだろうか?
 それとも、怒られたかったんだろうか?

 どちらにしろ、気付けばエリオは口を開いていた。

「たぶん、誰かを幸せになんて出来ないだろうなって……そう、思ったんだ」
「……ふーん。でも、エリオくんはなんで誰かを幸せに出来ないなんて思うの?」
「僕が、誰かを好きになる事が出来ないから……好きな人を信じる事が出来ないから……」

 そうだ、結局のところ、それはエリオ自信の問題にしかすぎない。
 どれだけ人を好きになろうとしても、彼には不安が付きまとう。

 裏切られるかもしれない。
 捨てられるかもしれない。

 そんな思いを抱いて、誰かを好きになることなんて出来やしない。
 いや、例え好きだと言ったところで、それは上辺だけの思いでしかないのだ。

 だから、諦めよう。
 何もかもを諦めよう。

 そう、エリオは思っていたのに――

「……ふふっ」

 キャロはそんなエリオに微笑みかけた。
 それは、どこまでも嫌味のない健やかな笑みだ。

「……キャロ?」

 自分には、そんな笑顔を向けてもらう価値も無いというのに。
 それなのに、いつもと変わらぬ笑みを見せるキャロにエリオは驚きの表情を隠す事が出来ない。

 そんなエリオに、キャロは変わらぬ笑みのまま呟いた。

「エリオくん、好きな人ができたんだね」

 嬉しそうに。本当に嬉しそうにキャロは言った。
 まるで、我が事のように微笑んで。

「その相手が私じゃないのは……ちょっとだけ、悲しいけどね」
「キャロ……君は……」
「怖いの、エリオくん?」

 エリオの言葉を遮って、キャロは真っ直ぐにこちらを見据えた。
 その視線に、エリオは思わずたじろいでしまう。

「私は、エリオくんの気持ちを全部解ってあげることなんてできない。それでも、なんとなくだったら解るよ。エリオ君が、誰かを好きになることを怖がってるって事」

 怖い。そうだ怖いんだ。
 一歩も歩けそうになるくらい。
 この場で崩れ落ちそうになるくらい……怖いんだ。

「僕には、できないんだよ……」

 震える声で、エリオは呟く。

「誰かを信じる事が。捨てられないだなんて、きっと大丈夫だなんて、そんな言葉をいくつ連ねたところで、そんなものはただの言葉じゃないか!」

 気付けば、エリオは自身の気持ちを吐露するように叫んでいた。
 みっともなく、どこまでもカッコ悪く。思いをぶつけるように叫ぶ。

 それでも。
 それでキャロが微笑みを絶やすことは無かった。

「そうだね。失う事を止める事はできないかもしれないね」
「だったら……だったら――」

 最初から、夢を見せないでくれ。

 エリオは崩れ落ちた。
 その心のありようが、どうしようもないほどに砕け散った。

 だが――

「ねぇ、エリオくん――」

 小さな。とても小さくて儚いその手が最後の瞬間、エリオを支えてくれた。
 彼女はエリオの頬に手を当て、じっとその瞳を見つめる。

「――そんなのは、きっと当たり前のことだよ。誰にだって別れが来る事はあるんだよ。だから――」

 キャロは、迷うことなくエリオに自分の思いを伝えた。


「大事なのは、きっとその先なんだよ」


「その……先?」
「これは例えばの話だけど……もし、私が召喚士としての力を制御できなくなっちゃって、嫌で嫌で仕方が無いのにエリオくん達と離れ離れになっちゃうことになったら……どうする?」
「どうするって……連れ戻しに行くに決まってる! キャロが困ってるんだったら、絶対に力になって見せるよ!」

 なぜだろう、その答えは随分あっさりと出てきた。
 失う事は怖くて怖くて仕方が無かったのに――その答えはあまりにも簡単に紡がれた。

 そんなエリオを、キャロは嬉しそうに見つめる。

「ふふっ、エリオくん。ちゃんと答えを知ってるじゃない」

 その時、エリオは行き止まりの袋小路の先に、光が差したような気がした。

「失う事が怖いのは当たり前だよ。でも、それよりも大事な事がある。失われた後に、どうしたいか。エリオくんはその答えをもう出してるじゃない」

 答えは最初から、エリオの中に存在した。

 失うことの恐ろしさに目を閉じ、なにもかもを見ないフリをしていただけで。
 最初から、答えはそこにあったのだ。

「エリオくんは、なにも出来ない子供なんかじゃない。悲しい思いを抱いて、でもなにも出来なかったあの時とは違う」

 そうだ。自分はもうあんな思いをしたくないと願った。
 だから、強くなろうと決めた。
 大切な誰かのために、大切な物を守るために――

「だから、お姫様が連れて行かれても大丈夫。だってエリオくんは――」


 ――騎士になりたいと、そう思ったんだ。


 それだけ、本当にただそれだけだった。
 大切な、願いの根源を思い出すだけで、エリオの瞳からは迷いの色が消え失せた。

 失う事が、どうしようもなく恐ろしいことに変わりはない。
 それでも、そんな恐怖よりももっと大切なものがあることをキャロは思い出させてくれた。

 なら、もう迷う事はない。
 怖くても、恐ろしくても、前へと進むしかない。

 ――エリオは騎士になりたいと誓ったのだから。

 そんなエリオの様子を見て、キャロは満足そうに頷く。

「うん、もう大丈夫みたいだね。いつものエリオくん」
「キャロ……その、僕は……」
「エリオくんは真面目だから、つい考えすぎちゃうんだよね。でも、これからはもっとしっかりしなくっちゃ、大切な人が出来たんでしょ?」

 情けないところを見せてしまった事を謝罪しようと言葉を紡ごうとしたエリオだが、それはキャロの言葉に阻まれる。
 
「行ってあげて。大事な人の……フェイトさんのところへ。きっとフェイトさんも喜ぶから」
「……!? だ、誰かから聞いたの?」
「ふふっ、聞かなくても解るよ。言ったよね、エリオくんのこと、ずっと見てたって」

 楽しそうに呟くキャロ。
 その言葉に気恥ずかしさを覚えながら、エリオは改めてこの少女と共に居られた事を感謝した。

「ありがとうキャロ」

 心の底からの感謝を籠めて、エリオは呟く。
 そして、思いは固まった。

「僕、行ってくるよ。ダメかも知れないけど……それでもっ」
「うん、ガンバレ。エリオくん」

 見送りの言葉はそれだけだった。
 それだけで、十分だった。

 だからエリオは走り始める。
 本当に、大切な人の下へ。


 ●


 キャロ(Interlude)


 走り去っていくエリオの姿をキャロはずっと見守り続けた。
 その背が見えなくなる瞬間まで、ずっと。

「ありがとう、エリオくん……」

 小さく、小さく……誰にも聞こえぬように、キャロは呟く。
 自分の気持ちを吐き出すように。

「私のこと、助けてくれてくれるって言ってくれたこと、本当に嬉しかったよ。だからありがとう」

 本当に嬉しかったのだ。
 涙が出そうになるくらい、本当に。

 だから、キャロは夜空を見上げた。
 涙が零れないようにと。

「さてと、それじゃあ帰ろうかな」

 エリオの姿はもう見えない。一直線に、きっと大事な人の下へ向かっていったから。
 だから、ここからベッドまでの道のりで出会う事はないだろう。

 そう思いながら、キャロは歩を進める。
 だが、振り返った先に思いも寄らぬ人物が居た。

「スバルさんにティアさん……?」
「やは、こんばんわキャロ」

 何故か、二人とも申し訳なさそうにキャロの方を見ていた。
 そんな二人の様子に、キャロは小さく溜息をつく。

「もしかして、覗いてました?」
「い、いやー、あはは。実はエリオとさっき相談して、一度は別れたんだけど、心配になってティアを連れて戻ってきたんだけど……」
「ぬ、盗み聞きするつもりはなかったのよ! これは本当に!」

 言いつつ、二人そろってペコペコと頭を垂れるスバルとティアナ。
 そんな二人の姿に、思わず笑いがこみ上げてしまう。

「――構いませんよ。お二人とも、エリオくんの事が心配だったんでしょう?」
「う……いやまぁ、それはそうなんだけど……」

 言い辛そうに顔を見合わせるスバルたち。
 やがて、意を決したように、キャロの方へと向き直った。

「エリオはもう大丈夫みたいだけど……キャロ、アンタは大丈夫なの?」
「私が……ですか?」

 心配そうに尋ねてくるティアナに、キャロは首を傾げながら答える。
 しかし、自分は悩むことなどもうない。
 エリオも元気に戻ってくれて、望むことなんてこれ以上ない。

「やだなぁ、ティアさん。何を言ってるんですか?」

 だから、キャロはなんでもないと言わんばかりに、笑みを交えて呟く。
 だが、キャロの方を見る二人の表情が晴れる事はない。
 いや、より悲しそうに暗く沈んでいって……、

「キャロ、もういいよ」

 そう、スバルが言った。
 けれど、キャロにはその言葉の意味が解らない――いや、解ろうとしない。

「もう、スバルさんも。変ですよ、お二人とも」
「そんな――無理矢理笑いながら、泣かなくてもいいんのよ」

 言われ、キャロは初めて気付いた。
 自分の瞳から、大粒の涙が次から次へと零れ落ちていることに。

「え……? あれ? なんだろう、おかしいな……?」

 それでも、キャロは不思議そうに呟く。
 零れる涙は掬い取ってもすぐに溢れ出し、止まる気配はない。

「あ、あはは、おかしいな。なんでだろう、なんで……こんな……」
「いいんだよ。悲しいときは泣いていいんだよ。我慢することなんてないんだよ」

 必死に瞼をこすり、涙を無理矢理止めようとするキャロの腕を掴み、スバルが言う。
 それが、限界だった。

 キャロは、ゆっくりとその表情を歪め、零れ出る涙を留めることなく、

「うわあああああああああああああああああああああんっ!!」

 泣いた。
 子供のように、形振り構わず声の限りに叫んで。

 スバルの胸に飛び込み、止まぬ嗚咽を繰り返すキャロ。

「あ、あああああっ! 私! 私……ホントはっ、本当は……!」
「いいんだよ。もう大丈夫だから……」

 子供をあやすように、その背を撫でられる。
 それに後押しされるように、溢れ出す気持ちは止まらない。

 本当ならば、一人で全てを抱えるつもりだった。
 ベッドの中で布団をかぶり、声を押し殺して――それで、自分の気持ちに決着をつけるつもりだった。

 けれど、もう止まらない。止む事はない。

「わたしっ、エリオくんのことが好きだった……好きって言いたかったっ!」
「うん、解ってる。ごめんね、力になってあげられなくて」


 その泣き声は、夜空に溶けて消えるように響き渡った。



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