魔法少女リリカルなのは 星を砕く者 第5話 夜天、堕ちる時

 
 今でも確かにこの記憶に残るのは十年前のあの日のこと。


 雪の降りしきるあの日が私の始まりやったんやと思う。

 

 あの出来事が無ければ、今の私は恐らく違う道を歩いとったのかもしれん。

 

 私の選んだこの道が最善の道やったかどうかなんて、私には解らへん。

 

 けど、私は決めた。

 

 もう、誰も悲しまないようにしようって。

 

 あの日流した涙が、けして無駄になれへんように。


 私以外の誰もが、あの涙と無縁で、ずっと笑っていられますようにって。

 

 だから、私はこの道を選んだことを誇りに思う。

 

 星を砕く物語、始まります。

 

 ●

 

 誰よりも高く、夜天の主――八神はやてはそこにいた。

 

「まったく、リインとの適応検査が終わったら久しぶりの休暇やったて言うのに……また厄介なもん持ち込んでくれたなぁ」

 

 白銀の髪に漆黒の六枚翼、金の杖を掲げるその姿は何よりも神々しく空から降りてきた天使の様にも見える。
 しかし、その表情は何処か怒りを含んだ物憂げなものだ。
 台詞自体は何気ないものだが、彼女もまたこの惨状に心を痛め、今それを起こしたであろう張本人を前にして怒りに胸を焦がす。
 もちろん、そんな感情を曝け出すことは無い。
 人の上に立つ者として、戦場で自らの感情を吐露する者などいない。
 だが、その心の奥で燻る炎は何よりも今、目の前に広がる惨状に、シグナムと剣を交わす男の姿に激しく燃え上がっていた。
 そんな視線の先、シグナムと共にこちらに僅かばかり視線を向けていた男の唇が僅かに歪む。
 笑っているのだ。その口から漏れるように言葉が紡がれる。
「ユニゾンデバイスか……こうも立て続けではな、伝説の名も薄れる……」
 その言葉は誰にも届かない、あくまで独り言の範疇だ。
 しかし、関係ない。
 彼女にとって、為すべきことは唯一つ。
 杖を掲げ、その先端を男へと向けて彼女は感情を感じさせぬ平坦な口調で呟く。
「さて警告や、武器を捨てて投降し……さもないと痛い目にあうで?」
「問答無用というわけか、こちらの騎士と違って血気盛んだな」
 はやての言葉にフェイスレスが非難するでもなく、ただ可笑しそうに微笑む。
 それに対し、はやても己のデバイス、シュベルトクロイツを掲げながらその口の端に小さく笑みを浮かべた。
「勘違いしなや……私の騎士が剣を向けとる。戦う理由なんてそれで十分や」
 同時に、杖の先に魔法陣が展開。冗談のような魔力量がその杖の先から膨れ上がる。
 白色の魔力光が浮き上がる魔法陣の中央へと集束を開始する。
 驚くべきことに、その魔力は暴走する余剰魔力すら巻き込み、凄まじいまでの密度となる。
「リイン、調整は頼むで」
『了解です、マイスターはやて』
 はやての内でリインフォースが同意の声を伝える。
 それと同時にはやては杖を振り下ろし、魔術詠唱を開始。
「来よ、白銀の風、天よりそそぐ矢羽となれ――フレースヴェルグ!」
 そして天から現れた光の柱が空を貫いた。
 そう、表現するしかなかった。近距離精密射撃用に調整された砲撃は出力を抑えられ放たれる。しかし今放たれたそれは、本来の用途――超長距離殲滅砲撃レベルの威力を秘めている。
 ありとあらゆる物を飲み込み、白い光が管理局地上本部の屋上を包み込んだ。
 そして次の瞬間、屋上は爆発。爆炎を吹き上げてそこに存在したはずのありとあらゆる物を吹き飛ばした。
『わわ……シ、シグナムは大丈夫ですかね』
 調整は成功したものの、やはり想像よりも遥かに高威力になってしまった自分達の砲撃の結果にリインは驚きの声をあげる。
 しかし、はやては応えないじっと黒煙の上がる屋上を見据えた後、
「まだ終わりや無いで、リイン」
 呟くと同時に黒煙を断ち割って影が飛び出してきた。
 フェイスレスだ、やはりその身は所々負傷してはいるものの、その傷跡さえ瞬く間に修復しながら宙に浮くはやての方へと飛翔する。
 速い、いまからはやてが二度目の砲撃を撃ったところで迎撃は叶わないだろう。
 ただでさえはやてはクロスレンジでの戦闘は不得手としているのに、明らかに近距離戦闘を得意としているフェイスレスに懐に潜られてしまえば終わりだ。
 だが、その軌道に更に割り込む紅い影が一つ。
 シグナムだ。あらかじめ思念通話ではやてからの砲撃を予測していた彼女はフェイスレスよりも一瞬早く屋上から離脱。すぐさまはやての直衛へと回っていたのだ。
「紫電一閃っ!!」
 レヴァンテインの刃に魔力で編んだ炎を乗せ、こちらへと直進してくるフェイスレスへと向けてシグナムの一撃が放たれる。
 瞬時に攻撃の構えから、カラスマルを防御の構えへと移すフェイスレス。
 しかし、咄嗟の行動であった為に、先程の一撃のように受け流すことが出来ない。その上シグナムの一撃は直撃した瞬間、小爆発にも似た炎の奔流を生み出しあっさりとフェイスレスを飲み込む。
 ピンボールのようにあっさりと弾き返されるフェイスレスは、そのまま再び未だ炎を燻らせる屋上へと叩き返された。
「ありがとな、シグナム。それにしてもようさっきの避けれたなぁ」
「回避に徹すれば、あの程度問題ありません。主もそう確信したからこそ放ったのでしょう?」
 そんなシグナムの背中に、フェイスレスの殺気を受けていても悠然と構えていたはやてが声をかける。
 シグナムもシグナムで背を向けたまままるで当然だとでも言うように答えを返す。
 お互いがお互いを完全に信頼しあっていた。先程の一撃も下手をすれば同士討ちの危険性すらあったというのに彼女達の間ではそれすら杞憂でしかないようだ。
「ところで、結局なんなんやろーな、まだピンピンしとるみたいやけど」
 だが、そんなはやての視線が再び厳しさを取り戻し、屋上へと向けられる。
 そこにはやはり、既に無傷となったフェイスレスの姿があり、こちらを殺気に満ちた視線で睨み付けている。
「自己修復能力、それも復元レベルやなんて……ちと、面白くあらへんな」
「はい、ですが……“あの時とは違い”捕らえるだけならやれないことはありません」
 はやての言葉に僅かに頷くシグナム。
 しかしそんな彼女達の中で、ついていけない当事者の一人が不満の声をあげた。
『おい、あんたら勝手に納得しているみたいだけど、なんなんだアイツは、ホントに人間なのかよ。あの回復力尋常じゃねーんだぜ』
 アギトだ、一連の行動において暴走する魔力の制御に集中していた彼女もようやくここで一息つけたのか、自分を無視して進む状況に業を煮やし怒りの声をあげる。
『おい、バッテンちび。オマエもなんか心当たりがあんのか!?』
 周囲の皆が勝手に納得し、自分ひとりだけ蚊帳の外のような雰囲気にアギトは言葉を発しないリインにも問い詰める。些細なことであれ何かとリインに対抗心を燃やし、突っかかるアギトの癖のようなものだった。
 しかし、リインからの返事は無い。
 いつもならバッテンちびと呼ばれただけで怒り出すリインにしては珍しい反応だ。
 今、リインははやてとユニゾンしているためにアギトからはその姿は見えないが、しかし彼女が息を呑む気配だけは確かに伝わった。
『わ、私も実際に体験したわけじゃなくて、資料でちょっと知ったぐらいですけど……でも、あれははやてちゃん達が……』
 そこでようやくリインの声が紡がれる。しかし、その声は何かを恐れているような怯えているような声音だ。
 ますます首を捻るアギト。しかしそこではやての制止の声がかかった。
「はいはい、そこまでや。アギトにも後できちんと教えたるから……まずはアレをどうにかしようか?」
 アギトとリインのやり取りの最中にもはやてとシグナムは戦闘の態勢を僅かに崩すことも無く屋上に立つフェイスレスの姿を視界に納め続けていた。
 だが、彼もまた動かない。いや、動けないといった方が正しいのだろう。
「後方支援、近接戦闘それぞれに特化した魔導師か、そのうえ息もあっている……」
 フェイスレスの呟きが漏れる。
 まさしくその通りだろう、個人戦においてこの二人を相手取るのは難しいなどというレベルではない。不可能と断じてもいいレベルだ。
 この二人を同時に相手をすることはエース・オブ・エースであるなのはやフェイトでさえ単独戦闘では歯が立たない筈だ。
 それほどまでにこの二人の相性、そしてコンビネーションは絶大なものなのだ。
 打ち崩すことなど不可能。たとえ不死身の身体を持っていたとしてもフェイスレスには僅かの勝ち目も無い。
「一応、言っておくで。アンタに勝ち目は無い。大人しく捕まるか、ちぃとばかし痛い目にあってから捕まるか、好きなほうを選び」
 そんな彼に向けて、はやてからの最終通告が下る。おそらく戦闘が始まってしまえば決着はすぐにつくだろう。時間稼ぎにもなりはすまい。
 本来ならば、この場で取れる最良の手段は大人しく降伏すること、それは誰の目から見ても明らかだった。
 なのに、それなのにフェイスレスは禍々しく笑った。
 諦めるでもなく、自棄になるでもなく、ただ対峙する者達に対して嘲笑を浮かべる。
 それを返事と受け取ったはやてとシグナムが、同時に動く。
 はやては己の魔力を集束しはじめ、シグナムは迎撃の構えを取る。見た限りにおいては有効な遠距離攻撃を持たないフェイスレスにしてみれば最悪の展開だろう。
 無理に飛び込めばシグナムに落とされ、ただこうして見ていてもはやての砲撃魔法に貫かれる。
 どちらにしても結果はフェイスレスの敗北だけだ。
 しかし、それでもフェイスレスは嘲笑を崩さぬまま、ゆっくりと何気ない動作で右手を掲げ、自分の顔の右半分を覆う仮面へとその指を掛け――
「――しかし、二人ともユニゾンデバイスのマイスターなのは天命か?」

 

 ――引き剥がす。

 

 同時に叫び声が響いた。高く響く苦痛の声。苦悶に満ちたその声の主は、
『あ……あ……ああああああああああああああああああああああっっ!!』
『や、が……やぁああああああああああああああああああああっっ!!』
 はやてとシグナムの“内側”から鼓膜を貫かんばかりの絶叫が響く。
 それは彼女たちのユニゾンデバイス、リインとアギトの悲鳴だった。
 同時に、ユニゾンデバイスからの魔力制御がなくなり、まるでそれが当然とでも言うかのように魔力暴走が始まる。
 はやての集束した魔力が余剰魔力を取り込み、膨大な魔力塊と化す。いまそれを制御する管制人格は無い。
 例えるならばそれは一個の爆弾だ。魔法でもなんでもない、トリガーを引けば周囲のありとあらゆる物を巻き込み爆発する危険物でしかない。
 そして、更に状況は悪くなる。変調はリインとアギトだけではない。はやてたちにも及んでいた。
 頭痛が、文字通り割れるような頭痛がはやてたちを襲う。
 はやてたちの口からも押し殺した悲鳴が上がり、その場に膝を付きそうになる。
 戦闘など論外、いまこうして空中に浮遊し続けていられることそのものが僥倖と言うしかないほどの苦痛をはやてたちは感じていた。
「……なにを、アンタ、ウチの子達に何をしたぁ!!」
 苦痛に表情が歪んでいくのを理解しながらはやてが叫ぶ。その視線の先にはフェイスレスがこのチャンスに追撃するでも、逃走するでもなく、ただ悠然と立ち尽くしていた。
 そして、はやては見る。
 フェイスレスの顔、引き剥がされた仮面の奥底を。
 本来右目があるべきその位置には、小さな人間の形をした何かが“埋め込まれていた”。
 まるで出来の悪いレリーフか何かのように少女らしきその人影は涙でその頬を濡らし、怨嗟の呻き声をあげている。
 それが何かはやては理解した。それはユニゾンデバイス、そしてそれらを統括する管制人格だ。
「ア、アンタ……それは……?」
「ユニゾンデバイスを持つのならば、これが何なのか理解は出来るだろう」
 はやての問いにこの場でただ一人だけ平然と立ち尽くしながらフェイスレスが答える。
 その言葉に合わせるようにはやてとリインとのユニゾンが強制的に解除される。目の前に現れた小さな身体はまるで寒さに耐えるように自らの方を抱き、震え続けている。
 ユニゾンが解除されたおかげか、はやての頭痛も同時に治まり、思考もクリアになるがどう考えても事態が好転したわけではない。
 リインは未だに怯えているかのように、その目から大粒の涙を零す瞳はまるで焦点が合っていない。
 再びユニゾンすることは見ただけで不可能だと解った。それはつまり、今この場では魔法が使えないことと同義だ。
 しかも暴走した魔力塊は今この瞬間も解除されずに宙を漂っている。いつ暴発してもおかしくは無い状態だ。
「ほう、主を守ったか……優秀なデバイスだ。しかし、既にチェックメイトだ」
 フェイスレスがカラスマルをはやてに突きつけて呟く。彼の言うとおりだった今度はこちらが絶体絶命の危地に立たされている。
 しかし、そんな二人の間に割って入るように再び赤い騎士の姿が現れる。
 シグナムだ。今その身は先程と違い髪の色やバリアジャケットの形も違っている。彼女もまたアギトとのユニゾンを解除したことにより頭痛から逃れることが出来たのだろう。
 しかし、アギトはやはりリインと同様にがたがたと震え続けている。
 そんな彼女をシグナムは優しくはやての方へと差し出してから、レヴァンテインを正眼に構える。
「逃げてください、主はやて。あの男は私が足止めします」
「…………っ!」
 シグナムの言葉にはやては何かを言い返そうとするが言葉にならない。
 確かに今この場においては魔法を使えなければ戦力にならないはやては足手まとい以外の何者でもないだろう。
 はやての頭の中でも、それが今とることの出来る最善の方法だという結論は既に出ている。
 しかし、感情がそれを許さない。
 いくらシグナムといえども、あの男を相手に魔法を使わずに戦い続けることは難しいだろう。
 先程の攻防でそれを理解しているからこそ、自分の騎士を死地に置いて逃げ出すことを、はやては夜天の主として許すことが出来なかった。
『シグナム。いちかばちかやけど、あの暴走した魔力をあの男にぶつける。あのレベルの自己修復能力もちなら致命傷にはならへんやろうけど、離脱する時間くらいなら稼げるはずや』
『主はやて、危険すぎます。ここは私が――』
『ええから聞きぃ、どっちにしてもあの暴走魔力の塊はどうにかせなあかん。放っておいたらそれこそ地上本部がお釈迦になってまう。できるだけ空へ上げなあかん』
 既に制御不能になっているとはいえ、あの暴走魔力は元を辿ればはやての魔法だ。リインの力が無ければ集束させることは不可能だろうが、簡単な軌道操作ぐらいならまだ受け入れるはずだ。
 しかし、それでもやはり正しいのはシグナムの判断だろう。
 シグナムのプランならば最悪でもはやて、そしてリインとアギトは助かる。
 ただ、代償として地上本部は壊滅的なダメージを被り、シグナムが重大な危険に巻き込まれる事になる。
 もちろん、シグナムにとってはそれでもはやての安全を第一に考えるだろう、だから彼女ははやての作戦を跳ね除けるように思念通話を再び飛ばす。
『ですが、それでは貴方にも危険が!!』
『ええから、私の言うとおりに――』
「時間切れだ」
 聞こえていたわけでもないだろうが、そんな彼女たちの思念通話を断ち切る声。
 声の方を見れば予想外の出来事が起きていた。
 フェイスレスがデバイスを納めている。まるで既に戦闘は終わったとでも言うかのように。
「なにやら企んでいたようだがな、既に終わりだ」
 フェイスレスの言葉に、はやてたちは天を仰ぐ。
 空が、漆黒に覆われていた筈の空が、急速に蒼の色を取り戻していく。まるで霧が晴れるかのように一面に広がっていた黒色が散って――いや、とある一点へと集束していく。
 それははやてたちのいる位置より遥か高み。そこにいつの間にか二つの人影があった。
 一つははやてと同様に、しかし歪な羽を背中に持つ者で、もう一人はその左腕に……いや、左腕の変わりに据えられた砲に異常という言葉ではとても言い表しきれないほどの魔力量を集束させていく者の姿だった。
「集束魔力砲!? でも、あんな桁違いの魔力を撃ったら――!」
 内部ではなく外部の魔力を集めて撃つ集束魔力砲はただでさえ使用者に負担を強いる危険な魔法だ。そのうえ、あれは恐らく今までの魔力暴走現象、その源であろう黒い魔力光の全てを吸い込んでいる。
 その結果、どれほどの魔力量がそこに込められているのか想像することさえできない。
 ただ使用者が、そしてその目標がどうなるかは想像することは容易かった。
 はやてとシグナムの顔に今までにない焦りが生まれる。
 それでもただ、フェイスレスだけが悠然と唇を歪め、酷薄な笑いを浮かべ続けていた。

 

「何を恐れる、あれはただの狼煙だ。あの程度で星は砕けたりせんよ」

 

 そして制止する時の中で、世界が黒い光に包まれた。

 

 ●

 

「あ、あのーヴィータ副隊長。さっきの人たぶん重要参考人だと思うんですけど、ふっ飛ばしてよかったんですか?」
「し、仕方ねーだろ、私だってあんなに吹っ飛ぶとは思わなかったんだから、ほら、今からふん捕まえに行けばいいだけだろうが!」
 ラフティを撃退し、言葉を交し合うスバルとヴィータ。その背後で轟音が響いた。
 声も無く振り返る二人。
 その視線の先には巨大な黒い光の柱が突如としてそこに現れていた。
 つい先程まで、そこには確かに管理局地上本部の姿はいつの間にか空と大地をつなぐ巨大な柱へと変貌していた。

 

 ●

 

「いったい、何が……!?」
 風が吹き荒れる。
 避難した管理局員、及び周辺住民と共に安全区域にまで後退していたティアナはその瞬間を確かに見た。
 黒い光に管理局の地上本部が飲み込まれる姿を。
 地面が衝撃に震えていた。
 まるで、世界の終わりだとでも言うかのように。
「……冗談でしょう?」

 

 ●

 

 失意のままにミッドガルの海へと戻ってきたクロノは館長席の椅子から地表に広がるその光景を見た。
 大気圏外のこの場所から見える建築物など一つしかない。
 管理局地上本部だ。
 白く輝く威容を放つ筈のその建築物は、今どす黒い光に覆われかつての絢爛さを完全に消し去っていた。
 力任せにコンソールを殴る。ただの八つ当たりだということは彼自身も理解していた。
 それでも、なにかにこの怒りをぶつけなければ気がすまなかった。

 

 ●

 

 ヘリの中には重たい沈黙が流れていた。
 乗客はヘリパイロットを除けば4人。
 シャーリーが忙しなくキーボードを叩き続けていた。
 キャロが困ったように視線を彷徨わせ続ける。
 エリオは、彼にしては珍しく何処か怒りに満ちた表情で四人目の乗客のことを睨み続けている。
 そして、問題の四人目の乗客は。
「……くっくっく。はっはっはっは!」
 突然、何がおかしいのか嘲笑うかのように相好を崩した。
「何が、おかしいんですか?」
 やはり剣呑な口調でエリオが尋ねる。
 四人目の乗客は答えない。
 ただ、おかしそうに笑い続けてから、小さく呟く。
「いや、面白くなってきたな……そう思っただけだよ」

 

 ●

 

 崩壊はあっけないほどあっさりと終わりを告げた。
 まるで夜が明けるかの如く、それが当然という摂理とでも言うかのように暗黒の柱はあっさりとその姿を消した。
 だが、後に残るものは大きな爪痕、いや、それすら存在しない。
 そこには、かつて存在していたものは何一つ無かった。
 かつて地上本部と呼ばれた建築物は、いまや跡形も無く消滅している。
 残っているのはかつての威容ではなく朽ち果てた瓦礫の塔だけだ。
 それでも、こうして何らかの形として残っていること、そして自分が五体満足でいることに対して、はやてはその身を半ば瓦礫に埋めながら感心したように呟いた。
「奇跡って、起こるもんやなぁ」
「はやてちゃんにしては弱気な台詞だね」
 はやての言葉に、その眼前にいた白い人影が答える。
 恐らく、敵の砲撃の直前“彼女”が現れていなければ、自分は――腕の中に抱いたリインとアギト、そして傍らでまだ気を失っているシグナムさえ無事ではすまなかっただろう。
 だが、“彼女”が偶然地上本部にいて、助けられたことそのものに奇跡を感じているわけではない。
 はやては自分にこんな友人がいてくれたことそのものを奇跡だと単純に思えた。
「まぁ、それはともかく逃げられたか……ごつい借りが出来てもうたなぁ」
 疲れたように呟くはやてに“彼女”は薄く微笑んではやてのほうに振り向いた。
 無言のままにその表情だけが問いかけていた。
 なら、これからどうするのかと。
「決まっとる、借りは返さなあかん――ただし、私等は十倍返しが基本やけどな」

 

 ●

 

 そこは一言で例えるならば白い部屋だった。
 天井の色も壁紙の色も染み一つない純白に覆われ、ただ一つ外界へと通じる扉だけが無骨な鉛色で出来ていた。
 その部屋の中に、人影が一つ。
 備え付けのベッドに腰掛け、何かを思案するように瞼を閉じたままのその姿は、
「困ったことになったね、バルディッシュ」
 フェイト・T・ハラオウン。
 第六十六管理外世界においてフェイスレス達に捕らえられた彼女の姿がそこにはあった。
 そんな彼女の掌の中には彼女の愛機にして唯一無二のデバイス、バルディッシュが握られているが、そこからの返事はない。
 普段から滅多なことでは口を開かない性格のデバイスではあるが、今は完全に無反応である。
 それもそのはず、今フェイトがいる部屋は対魔導師用の独房なのだ。
 AMFとはまた違う、魔力の波を意図的に乱すことによって魔力制御出来ない状態をこの部屋は創りだされていた。
 大掛かりな装置を利用するためにAMFのように戦術レベルでの使用には適さないし、そもそも一般に回るような代物でもない。しかしその技術自体は随分と昔からあるものだ。
 なにしろ、フェイトの予測ではあるがこの場所で利用されているものは管理局のそれと同一。少なくとも同じ技術で作られている代物だ。
 それだけではない。拘束されここに連れてこられるまでの道中にてフェイトは様々なものを見た。
 その全てが明らかに人工物。それもミッドチルダにおいてもかなりの高度なレベルによって作り上げられた施設の姿をだ。
 管理局からの捜査禁止命令。無人のはずの管理外世界に存在する謎の施設。そして一般には出回らないはずの装置群。
 クロノが想像していたよりも遥かに厄介な事態が起こっている事をフェイトは痛感していた。
 そして、なによりもいま自分がいるこの場所の異常性。
 フェイトはバルディッシュを懐に収めると立ち上がり、部屋の中を見回す。
 もう既に飽きるほど繰り返した作業であり抜け道や脱出の方法は僅かにも無い。
 それは在る意味当然のことだ、創作でもあるまいし監禁用の部屋に都合よく脱出する方法なんてものは無い。
 では、ではなぜこの人を拘束するためだけの部屋にこんなものがあるのだろう――フェイトはそう考えながら周囲を見渡していた。
 先程も述べたとおり、ここはそれほど大きくも無い白一色の部屋だ。
 置いてある調度品は先程までフェイトが腰掛けていたベッドと部屋の隅にある小さな机。奥には洗面所へと繋がる壁と同色の扉もあるがいまは気にしなくてもいいだろう。
 机の方に歩み寄るフェイト、視線はその机上に向けられる。
 そこにはラックに綺麗に収められた数冊の本と、そして――ちいさなクマのぬいぐるみが置かれてある。
 あまりにも場違いなアンティーク。それを目の片隅に置きながらフェイトは整然と並んだ薄い本をラックから取り出す。
 それは絵本だった。フェイトも話ぐらいは知っている。そんなどこにでも売っているような絵本。
 最後にフェイトの視線は床へと向けられる。
 そこにはいくつかの積み木が片付けられぬまま、乱雑に置かれていた。
 フェイトは思う、まるでこの部屋は――子供部屋のようだと。
 そうだ、おそらくフェイトの前にここに囚われていたのはおそらく子供だったのだろう。
 机もベッドも通常の者より一回り小さいサイズであることがそれを明確に語っている。
 そこで問題になるのは、では何故こんな場所に子供が閉じ込められていたのか、ということだ。
 ここは明らかに、誰かを閉じ込めるための部屋として出来ている。
 そのような場所にわざわざ子供部屋を作る理由なんて者は一つしかない。
 閉じ込めるべき子供がいたからだ。
 それがなんなのか、何者なのかフェイトにはわからない。
 おそらく、それが解ったところで脱出の手がかりになるわけでも無いだろう。
 フェイトは絵本を閉じ、ラックに再び戻そうとする。
 しかし、その時。一冊分だけ空いた隙間の所為でラックから本がなだれ落ちる。
 反射的に慌ててそれらを受け止めるフェイト、ここにある本が誰のために用意されたものかは解らない。
 だが、そのどれもが長年の使用に耐えてきたのか既にぼろぼろで、しかしとても長い間大切に読み継がれていたものだということは解る。
 だから、フェイトは出来るだけそれらを傷つけないようにそれらを受け止め――その中に絵本で無いものが混ざっている事に気づいた。
 それは何の変哲も無いノートだ。ただ表紙の部分に『Diary』とだけ小さく描かれている。
 この部屋にいたものが書き記したものなのか、フェイトの手がその一冊の日記帳に伸びる。
 その瞬間、
「それには触らないで」
 フェイトのすぐ後ろからそんな声が聞こえた。弾かれたように振りかえるフェイト、そこには誰の姿も無い――そんなホラー染みた光景が広がっているわけではなかった。
 そこには少女がいた。白い、部屋と同じ純白のワンピースに身を包む少女が。
 だが、フェイトにとってはそこに何者かがいるという事実の方がよほど恐怖を煽る。
 唯一の出入り口である鉄扉が開いた気配は無い。
 では目の前にいる少女は何処かに隠れていたとでも言うのか。
 それこそ不可能だ。なぜならフェイトは一縷の望みに縋ってこの部屋の中を全て調べている。
 僅かな痕跡さえ見逃さぬように徹底的にだ。隠し通路や人間の隠れる事の出来る空間などこの部屋には存在しない。
 更に加えるならば唯一の可能性である魔法すら、この部屋の中では使えないのだ。
 では、この少女はいったいどこから現れたのか。
 それを思考すると共にフェイトは身構える。
 しかし、突如現れた少女はそんなフェイトの挙動など目にも入らないのか、ゆっくりとその右腕を上げると机の上に置かれた日記帳を指し示し、今にも消え入りそうな小声で呟く。
「それは、わたしの思い出だから。もう、壊れちゃった思い出だからそっとしておいて上げて……」
 声音には何かを必死に訴えるような感情が込められていた。
 それは優位に立つ者が発することの出来る言葉ではない。
 怯えながらも、それでも必死に懇願をする儚い願いの言葉だった。
 その様子に警戒は緩めぬまま構えを解き、もう一度、少女の姿をフェイトは観察する。
 まだ、年端も行かない少女だ。大きく見積もっても十代にも至ってないだろう。
 透けるような銀色の髪は腰の下まで伸びており、その顔立ちどころか上半身の多くも覆い隠してしまっている。
 一見しただけでは幽霊と見間違われない格好だ。
 しかしその薄暗い電灯の元でも輝くような髪は美しく、こうしてじっくり見る分には妖精かなにかのような趣を感じることが出来る。
「これは……あなたの日記かな?」
 問いかけてみる。彼女が何者なのか、フェイトは単純に気にかかっていた。
 少女の俯き怯えているかのようなその雰囲気が誰かに似ていると思ったのだ。
 フェイトの問いかけに、少女はほんの僅かな首肯のみで答える。
 それだけでフェイトにとっては十分だ。どのような形であれ答えが返ってくるということは意思の疎通が出来るということなのだから。
「そっか……ごめんね。うん、これにはもう触らない、約束するよ」
 だから、フェイトは打算もなにもなく、まず少女に自分が勝手に私物を覗こうとしたことへの非礼を詫びた。
 それは心からの謝罪だった。
 突然現れた不審な者であるとか、もしかしたら敵かもしれないだなんて事は関係ない。ただ、そうすることが正しいことなのだとフェイトは信じていた。
 そんなフェイトの言葉に対し、少女はなんと答えていいか解らないのか、しばらくそのままじっと固まってしまった。
 微動だにしない少女。フェイトは困ったような笑みを浮かべながらもそれでも優しく尋ねてみた。
「えっと、良かったら、あなたのお名前を教えてくれるかな?」
 その問いかけに、少女が反応した。
 ゆっくり、ゆっくりとその首を上げ、フェイトと視線を合わせる。
 同時にフェイトは、初めてその銀の長い髪に隠された少女の表情を垣間見ることになる。


 フェイトの胸中に、激しい痛みが襲った。


 それは今まで何度も体験した痛み、自分と似たような存在を見つけた時の共振にも似た疼きだった。
 少女の姿を見たとき、フェイトは誰かに似ていると思った。


 それはキャロであり。

 それはエリオであり。

 それは自分自身だった。


 そこには何時かのフェイトたちがいた。


 かつて全てに拒絶され一人、悲哀に心の内を彩られていた少女の姿が。

 かつて全てに裏切られ一人、憤怒に身を焦がしつくしてた少年の姿が。

 かつて全てに否定され一人、絶望に全てを支配されていた自身の姿がそこにはあった。

 

 それはどちらがより酷いのか、などと優劣をつけることは出来ない類のものだ。
 皆、それぞれに心に傷を負い、痛みに打ち震えた者達だ。そこに程度の差など無い。
 そう理解していてもなお、フェイトは目の前の少女が見せる表情に戦慄にも似た痛みを覚える。
 フェイトの視線の先、少女に浮かぶ表情は無かった。
 そこには何も無い、感情と言う言葉を知らぬかのように眉一つ動かさぬまま光灯らぬ瞳で少女はただフェイトのほうを向いていた。
 なのに。いや、それ故にと言うべきか、フェイトの胸はきつく締め上げられる。
 そこには何も無い。
 それはどんな悲哀よりも、どんな憤怒よりも、どんな絶望よりも深く少女の心の奥底を侵していた。
 其の名前は『虚無』。彼女の心の中には何も存在してはいなかった。

 

 まるで、“仮面”を被っているかのようだと、フェイトは思った。

 

「あなたは、誰なの?」


 信じられぬといった面持ちのままフェイトがもう一度だけ尋ねる。
 少女はやはり、何も写さぬ瞳のままゆっくりと口を開き、

 

「私は――――――――」

 

 

――――【星を砕く者】

 




>TO BE CONTINUED


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