魔法少女リリカルなのは 星を砕く者 第14話 スターダスト・ダンスホール




 教えられたのは、諦めない心。



 そして、困難に立ち向かう為の力。


 私には過ぎたものなのかもしれない。


 けれども、あの人に恥じないように。


 あの人に、追いつけるように。


 今、自分に出来ることを精一杯やってみせる。


 そうやって、一歩ずつ進んだ先に。


 あの人の背中があると信じて。


 星を砕く物語。始まります。



 ●



 戦闘は流れるように始まった。
 エンジョイは既に過ぎ去ったキャロではなく、左腕そのものである砲の銃口をこちらへと向けてくる。
 感じ取れるのは確かなプレッシャー。覗く暗い銃口は確かな殺気と共にティアナ・ランスターを確かに射抜いていた。
 迎撃ではなく、横転するように回避を選んだのは本能に突き動かされた行動でしかない。
 だが、その直感がティアナを死という概念からほんの僅かだけ遠ざけたのは事実であった。
 黒い極光が空間を蹂躙する。
 宙を焼きながら突き進む黒い光の束は、単純に見ても強力な魔道師の直射砲とほぼ同等の威力を込めていた。
 ティアナが十分に威力を込めて撃ち放つ砲撃でようやく拮抗できるかどうか、そんなレベルの砲撃をエンジョイはほぼノータイムで撃ち放ってきた。
 まともに受けていれば、それこそ塵も残らなかったろう。そんな想像がティアナの脳裏を掠める。
 そのまま転がるように整然と並べられた棺にも似た機械群の一つの影に隠れるティアナ。
 あの砲撃の前では盾にならないことぐらいは承知しているが、多少の時間稼ぎにはなるだろう。
 その時間を利用して、ティアナは瞼を閉じ、集中するように手に握るクロスミラージュを額に当てる。
 考えるべきは、どうすればあの相手を打倒する事が出来るのか。
 威勢よく啖呵を切ったのは良かったものの、あの少女に単独で対抗する術をティアナはいまだに考え付くことが出来なかった。
 仮面の少女――エンジョイは、見た目通り砲撃に特化した魔術師である。
 先程閲覧したデータにはティアナの見つけた重大な事実以外に、フェイスたちに関する詳細も書き記してあった。
 だが、そこにはティアナの求めるようなフェイスたちの明確な弱点となるべき記述はなく、代わりにあったのは、より彼女の戦意を挫くかのような事実。
 エンジョイという名ではなかったが、彼女もまたフェイスの実験体として詳細が描かれていた。
 フェイスも通常の魔道師と同様、チームを組んでの戦闘を基本とする。それぞれに明確な役割と長所を与えられ、それに従い調整される。
 それによると、彼女は後方支援型砲撃魔術師として特化した能力を与えられた一固体。
 強力な砲撃を撃つ為だけに存在する彼女は、一人の魔道師から採取されたデータを元に創られていた。
 それこそが、ティアナもよく知る管理局のエース・オブ・エースと呼ばれる“彼女”の名前であった。
 フェイスたちが管理局に登録された魔道師の基礎データを元に創られた存在であることはティアナも既に知っていた事実だ。
 だが、そこに“あの人”の名が確かに明記されているのを目撃したティアナの衝撃はどれほどのものだったのだろうか。
 記述によれば、エンジョイは元となったデータと比肩しうるだけの性能を有しているらしい。
 それはつまり、いま自分が相手をしようとしているのが――“彼女”と同等の存在であるということ。
 勝てるのか、自分はたった一人で“彼女”に勝つことが出来るのだろうか?
 そんな懊悩がティアナの頭の中で、何度も巡る。
 だが、結論を出す前に思考する時間は終焉を迎えた。
 迸る殺気が、確かにこちらを射抜く。直接視認したわけではないが、体が再び生存本能に従い動いた。
 棺ごと、先程まで確かにあった空間が黒い光に削り取られる。
 なんとか、それは回避したティアナであったが、このままではいつか必ず追い詰められてしまう。
 ならば、こちらから動くしかない。如何な相手であろうとも、負けることを恐れたままの人間が勝つ道理などこの世には存在しない。
 ティアナを支えるものは確かな自負。
 起動六課で過ごし、執務官補佐として紡ぎあげてきた確かな力。今それを信じずして、何の為のこれまでと言うのか。
 腹を括ると同時に、ティアナは反撃に転じた。床を転がるような回避行動のままクロスミラージュをエンジョイのほうへと向ける。
 エンジョイは、砲撃の体勢のまま無防備な側面をこちらに晒している。
 それを確認すると同時にトリガーが引かれ、両手に握るクロスミラージュからはそれぞれ一発ずつ橙色の光弾が発射された。
 空を翔るように疾駆する光は、そのままエンジョイの側頭部と脇腹に直撃。確かにエンジョイの身体はその衝撃にぐらりと揺れた。
 ――だが、それだけだ。
 エンジョイは痛みをまるで感じていないのか、崩れた体勢のまま砲の照準を再びこちらへと向けてくる。
 そして再び黒い極光がティアナに向けて放たれた。
 しかし、そこまでの運びはティアナの予想範囲内、射撃と同時に彼女は回避行動に移っていた。
 それでも紙一重、といった所か、ティアナは間一髪のところで回避に成功する。
 余波だけでも肌を焼くその感覚に、一撃でも敵の砲撃を貰ったら二度と立ち上がることは出来ないであろうことを、ティアナは再認識する。
 再び乱立する棺の影に隠れ、息を整えるティアナ。その表情には幾分かの余裕が再び生まれつつあった。
 状況は、考える限り最悪に等しい。敵の砲撃は強力で、一撃でもその身に食らえば再起不能に陥ることは確実。それに対し、ティアナの方はと言えば、先程のは、あくまで様子見の一撃だったが相手に僅かもダメージを与えていない様子だ。
「まったく……反則にも程があるわよね」
 愚痴るように呟くティアナ。もちろんそれで事態が好転するはずもない。いま、すべきことは唯一つ。この戦いを生き残る為に考えること。
 ティアナの射撃は軽すぎる。それは彼女の長所でもあり、最大の弱点である。
 詠唱を必要とせず、連射の効くティアナの射撃はけして威力の高い砲撃魔法と比べて劣っている代物ではない。だが、絶大な防御力、もしくはフェイスのような自己治癒能力を持つ存在に対してはどうしても効きにくい。
 それは単純な相性の問題なのだが、今この場ではそれが最悪の形で当てはまってしまっていた。
 もちろんティアナも強力な砲撃が放てないと言うわけではない。先程からエンジョイが放っている砲撃と同等の威力をもった一撃を撃つ事はティアナにも可能である。
 それならば、彼女に相応のダメージを与えることも可能だろう。
 だが、それにはどうしても突破しなければならない条件がある。それはティアナが砲撃レベルの一撃を放つには、どうしても相応のチャージタイムを要しなければならないという事だ。
 それに対し、エンジョイは先程から砲撃魔法をまったくのノータイムで放ってくる。
 なんとも理不尽なことではあるが、それが事実だ。その差をどうにかしないことには砲撃の撃ち合いというのは夢物語でしかない。
 確実に自分の方が先に撃たれて終わりである。
「だったら……」
 呟きながらティアナはクロスミラージュを握り締める。
 自分にはもう一つ、一撃必殺の手段があると。
 クロスミラージュ・セカンドモードによる近接攻撃。これならばチャージを要することなく相手に確実なダメージを与えることが出来る。
 問題があるとするならば、あの強力な砲撃を交わしながら距離を縮めなくてはならないこと、そして、本当に今から自分がやろうとしている事が正しいかどうか――その確信。
 自分が今からやろうとしているのは、あの時の焼き直しである。
 そう、自分の力を信じることが出来ず、それでも認めてもらいたくて無謀な真似をとった、あの模擬戦。
 どうしても、その時のイメージが脳裏から離れない。
 敵が、今相手にしているのが“あの人”を模した魔道師であるという事実もティアナに、躊躇と言う名の枷を嵌めてしまっていた。
 だが、自分はあの時とは違う。自分の出来ること、やる出来事、それらをきちんと理解している。
 だから、例えそれが無茶であろうとも――やるしかない。
 そう、腹を括ると同時にティアナは動いた。
 棺から飛び出し、エンジョイに向けて再び魔力弾を放つ。出来る限りに連射しながら相手から見て横切るような機動を描くティアナ。
 放たれた弾丸は正確にエンジョイを射抜く、その度に鈍器で殴られたかのように弾かれるエンジョイの身体だが、やはりダメージそのものは無いようである。
 ティアナの魔力弾に穿たれながらも、どこか落ち着いた動きで動き回るティアナへと照準を合わせるべく左腕を動かす。
 エンジョイの砲撃は高威力であり、ほぼノータイムで発射することの出来る高性能極まりないものであるが、幾度かの砲撃を見てその弱点らしきものを看破することは出来た。
 まずは、連射が効かないこと。砲身が一つであり、高威力砲撃である以上それはどうしても免れないリスクだ。
 そしてもう一つは、相手が絶対的な再生力を有しているという点。それは単純に考えるのであれば敵が難攻不落であるというだけの事実でしかないが。そのおかげで敵は油断している。
 そもそも防御する必要が無いのだ。ティアナの通常射撃において相手に確実なダメージを与えられないことは既に実証されている。
 だが、そのおかげでティアナの射撃は今のところ確実に直撃している。エンジョイは回避行動というものをまるで取っていないのだ。
 そこが付け入ることの出来る隙である。例えダメージを与えることが出来ずとも体勢を崩させる程度のことは出来る。
 そうすれば、敵の砲撃を僅かばかりとは言えど逸らすことが可能だ。確実な狙いを付けることの出来ない砲撃など脅威でもなんでもない。
 そうだ、敵は“あの人”でもなんでもない。ただ相手に向けて単調に砲撃を繰り返すあの相手は、単なる固定砲台に過ぎない。
 そんなもの、怖くもなんともない――エンジョイの砲撃を回避するたびに額から流れる冷や汗を振り払いながらティアナは覚悟を決める。



 ●



 唐突にティアナからの射撃が止んだ。エンジョイにとっては煩わしい、といった程度の攻撃ではあったがそれが唐突に止んだ事実にエンジョイは僅かに動きを止める。
 彼等は常に感情というものを見せないが、そのものが無いという訳ではない。
 とはいえ、それはフェイスたちの肉体に宿るものではない。彼等の中に存在する暴走ユニゾンデバイスが持ちえる感情だ。
 だが、それも原初の感情に過ぎない。思考する意思を持たない存在であるエンジョイは、すぐさま動き回る敵を穿つ為に左腕の砲身をティアナに向けて動かす。
 だが、そこでエンジョイにとって想定外の事象が生じた。
 敵の数が、急激に増えたのだ。
 その数は五つ。新たな増援というわけではない。
 なぜならその全ては先程までエンジョイが狙いを付けていた敵とまったく同様の姿かたちをしているからだ。
 それが敵の使用する幻術魔法であるという判断は瞬時。すぐさま半自動的に魔力探査を行いフェイクがどれであるかを調査する。
 だが、相当に高度なレベルで形作られた幻影は、物理的にも魔力的にも区別がつかない優秀な魔法であった。
 そして、五つの敵はそれぞれ別々の軌道を描いてエンジョイのほうへと走り始める。
 いままでの回避行動を主流にした動きとは違う、確実にこちらへと距離を詰めるための挙動。
 敵が、反攻に転じた。その事実だけはエンジョイも理解することが出来た。
 だが、エンジョイに動揺は生まれない。やるべきことは敵を撃退することだけだ。
 そう結論付けたエンジョイは、まずは手近な敵に向けて照準を合わせると同時に、砲撃。
 大威力の光帯が生まれ、今の今まで直撃を回避していた敵に始めて直撃する。もはや敵は回避ではなくこちらへと接近することを至上としているようである。
 光に飲み込まれたティアナの姿は一瞬で蒸発したかのように消え失せる。
 だが、残った四体の足並みは僅かにも乱れることは無かった。
 幻影、そう判断を下したエンジョイは再び砲身を動かし、残った四人のうち一人に再び照準を合わせる。
 敵は、纏めて掃討されないように等間隔を置いてこちらへと距離を詰めている。基本的に直線の軌道しか描けないエンジョイの砲撃では、どうしても一体ずつ相手をしなければならない。
 だが、焦りを見せることもなくエンジョイは機械的に照準を合わせると同時に砲撃を再開。再びエンジョイの砲撃に敵はまたひとつ、その姿を消した。
 その間にも残った敵は確実に距離を詰めてくる。フェイクの掃討に時間をかけている間に敵がこちらへと距離を詰めてこようとしているのはもはや明確であった。
 そこで始めて、今まで砲撃以外の動きを見せなかったエンジョイが動き。相手との距離を離すように後方へと一足飛びに跳ねる。
 自分が砲撃型であり、懐に入られれば不利であることはエンジョイも理解している。それゆえの始めて見せた行動であった。
 後ろに流れるように飛びながら再度、砲撃を繰り返す。
 三体目、四体目を確実に潰していくエンジョイ。だが、残った最後の一人はその時点で既にエンジョイとの距離を手を伸ばせば届く距離にまで詰めていた。
 だが、それでは遅い。自分を打倒するにはこの時点で既に攻撃を終えていなければならないのだ。
 最後に残った一体に向けてエンジョイは砲身を向ける、その頃には彼我の距離はほぼ零距離にまで縮まっていたが、エンジョイの砲身は確実にティアナの身体に押し付けられていた。
 狙いをつける必要などない。無言のままにエンジョイは砲撃を放った。
 黒い光が眼前で煌き、敵の体が吹き飛ばされる。
 もはや、視認できる範囲に敵の姿はない。最後の最後でティアナの攻撃はエンジョイに届くことは無かった――かに見えた。
 だが、吹き飛ばされたティアナの姿が唐突に掻き消える。自分の砲撃ではなく、宙に溶け込むように消えるその様は、最後の一体もまたフェイクであることを如実に示していた。
「――ダガーブレード展開!」
 声は背後から、首だけを巡らせエンジョイが背後を仰ぎ見るとそこには、先程とは逆に何もない空間から滲み出るように姿を現す敵が存在していた。
 最初から、こちらへと向かってきている敵の中に本物は存在していなかったのだ。
 幻影とは違い、敵は自ら姿を消し、エンジョイの砲撃に巻き込まれないように迂回してこちらの背後をとったのだ。
 手に握られているのは高出力の魔力によって形成された魔力刃である。さすがのエンジョイといえどもその一撃を食らえば相応の魔力ダメージにより一時的に行動不能に陥ることは免れない。
 そして反撃に転じようにも、今はまだ最後の幻影に向けた砲撃の最中だ。同じように素早く次の対象に、砲身を向けることはできない。
 絶対的な不可避の一撃。それが今まさにエンジョイに振り下ろされようとしていた。


 エンジョイが予測したとおりに。


「カ――カカカカカカッッ」
 薄く笑うかのような叫びが響く。それこそがフェイスにとっての魔術詠唱。
 そうだ、いままでエンジョイが利用していたのは魔術ではない。それぞれに特化した能力をもった彼等は呼吸するかのごとく、砲撃や重力制御を行う。
 だが、それとは別に詠唱を利用した魔法を使用することもできる。
 それこそが、彼等の真の能力である。
 囁かれた詠唱に呼応するようにエンジョイたちの居る空間に数多の魔法陣が出現。それらは黒い光の輝きを放ったかと思うと一瞬で“鉄板”が出現する。
 召喚魔法を利用した物体顕現。中央に歪んだ魔方陣の描かれた鉄板はそれこそ瞬時には数を把握できぬほど数を瞬時にその姿を地下空間に現した。
 それがなんなのか、ティアナが理解できたかどうかは定かではない。しかし、どちらであろうとも既に攻撃態勢に入っているティアナに選べる術はもはやなかった。
 なぜならば、エンジョイの攻撃は既に終了している。
 それは先程、最後の幻影へと向けて放たれた一撃だ。幻影を貫くだけでは、威力は減衰を見せることなく突き進んだかと思うと、そのまま目標――突如として現れた鉄板に命中した。
 そして、魔力砲の直撃を受けた鉄板は、弾き飛ばされるでも、吹き飛ぶわけでもなく、その大威力の砲撃を中央に描かれた魔法陣に飲み込んだかと思うとあっさりと、その光を飲み込んだ。
 衝撃など生まれない、エンジョイの攻撃は消滅したわけではない。その攻撃そのものを鉄板は飲み込んだのだ。
 ならば、飲み込まれた砲撃はいったいどこに。
 そんな物は決まっている――ティアナの背後に現れた鉄板が光り輝く、まるでいまから砲撃でも発射させるかのように。
 そこから連想される結果は至極、単純であった。
 砲撃が生まれ、それは正確にティアナの背中を穿った。
 それがどれほどの衝撃を生むのか、エンジョイには解らない。だがこちらへと向かって魔力刃を振りかざしていたティアナはその一撃にあっさりと地に叩き伏せられた。
 足元に転がるティアナの身体をちらりと見る、全てはエンジョイの背後で行われた出来事だった。
 だが、それは全て予測の範囲内。全てはエンジョイの望みどおりに行われたに過ぎない。
 空間転移魔法を利用したマルチブラスト(全方位攻撃)、それがエンジョイの必殺の手段であり、奥の手だった。
 砲撃魔法は高威力を誇る魔法だが、その最大の弱点は発射後のコントロールが不能であるという点だ。
 放たれた砲撃は必ず直線機動を描く、誘導魔法弾とは違い、外れたらそれまでの物なのだ。
 だが、エンジョイは空間転送用魔法陣を構築済みの鉄板を空間転移させ、それを利用することによって強引に自らの砲撃を“曲げる”ことが可能なのだ。
 空間転移による魔力減衰現象により通常のものより威力は劣るが、それでも必殺の一撃であることは間違いない。
 自らの弱点を補うことによって死角を完全に防いだエンジョイのこの攻撃は最高の攻撃であると同時に、破ることの出来ない防御陣形なのだ。
 高威力であるが為に隙が存在する。その間隙を突くティアナの作戦が通用するわけがなかった。
 その結果だけを見て、エンジョイはやはりただ観察するかのように、倒れ付したティアナを無表情のまま眺める。
 ティアナは動かない。いや、動けるわけが無いのだ。
 トドメをさすような真似はしない。それはもはや無意味に過ぎる行動だからだ。
 ならば、自分が今からすべきことは、逃げ出したもう一人の侵入者を始末することだけ。
 なんの感慨もみせることなくその場から、もう一人の魔道師が向かった出口へと歩を進めるエンジョイ。
 だから、背後で倒れ付した存在が蠢く音に、ほんの僅かだけ眉を顰めた。もはや感情というものを表に出す必要のないエンジョイにとって見れば、それは驚愕としかいえない挙動であった。
 敵が立ち上がる、ゆっくりと、しかし確実に。
 そんなはずがない。いくら転移魔法により減衰したとはいえエンジョイの砲撃が直撃したのだ。辛うじて生きていたとしてももはやまともに動くことすら出来ないだろう。
 そんな身体で立ち上がることに、意味などない。再び自分の攻撃に晒され、再起不能にされるだけだ。
 だというのに、ボロボロになりながらも立ち上がるティアナ。
 当初の驚きから瞬時に立ち直ったエンジョイは、その論理的な思考に従い再び銃口をティアナの方へと向ける。
 対するティアナは、口の端に流れる血を乱暴にぬぐったかと思うと、低く呻くように呟いた。
「……ふざけんじゃないわよ」



 ●



 ティアナの心のうちを染め上げていたのは怒りの感情であった。
 どうしようもないほどの怒りが、痛みを訴える身体を無理矢理に動かしていた。
 効率的でもなんでもない、単なる激情だけがティアナを突き動かしていた。
 自分が敵の策にまんまと陥れられたことなどではない。それはあくまでも自分のミスである。
 エンジョイのことを過小評価し、その奥の手を見抜くことが出来なった……今のこの状況はその結果にしか過ぎない。
 ティアナが、許しがたいことはたったひとつ。
「……アンタは私の背中を撃った」
 対峙し、こちらに銃口を向けるエンジョイはやはり無表情のままだ。自分がなにを言っているのか理解しようとさえしていないのだろう。
 だが、そんなことは関係ない。
 背中から撃たれたから卑怯、なんて筋違いのことを罵るつもりはティアナにはない。そんなもの戦場においては至極当然のことだ。
 ティアナが許せなかったのは、エンジョイが“あの人”を模して作られた存在であるという事実。
 それがどうしても、ティアナにとっては度し難い事実なのだ。
 “あの人”はけして、敵の背を狙うようなことはしない。
 いつだって、どこまでも愚直に、己の力を信じて真っ向から相手を打倒する。
 だからこそ、“あの人”は強いのだ。どこまでもまっすぐに、怯むことなく突き進む。
 だが、エンジョイは違う。彼女はより相手を打倒することなく、搦め手を使ってティアナを穿った。
 “あの人”を元としながら、そのような結論にたどり着いたエンジョイを、ティアナは許せない。
 なぜなら、“あの人”はティアナの理想であり、自分もこうなりたいと願う存在なのだ。
 その素質を持ちながら、それを放棄し安易な手段をとったエンジョイをティアナは怒りを覚える。
 もちろん、そんなのはティアナの自分勝手な言い分である。確かにエンジョイの転移魔法を使用した砲撃は強力で死角らしきものは存在しない。砲撃魔術師としては理想的なスタイルであることは間違いないだろう。エンジョイの選択した方法は卑怯でもなんでもない、敵を倒すという目的を達成させる為の正しい姿だ。
 だが、それがなんだというのだ。
 理屈ではなく、ティアナは感情に従いそう思う。エンジョイと対峙した時から感じていた恐怖は既に微塵も存在していない。
 ならば、思い知らせてやるだけだ。
 クロスミラージュの銃口部分がスライドし、装填していたカートリッジが排出される。
 通常の赤色に塗られたカートリッジは未使用のまま地面に乾いた音を立てて転がる。通常の装填作業ならばこのまま腰のベルトに備え付けた予備のカートリッジを詰め込んだ銃口との交換が行われるが、ティアナは空になった銃口に、自らカートリッジを差し込む。
 それは通常のカートリッジでも、封印用に拵えられたものでもない。
 鉄色に輝く、一発限りの銃弾であった。
 エクスカートリッジ。スカリエッティから渡された、試用することも出来な危険極まりない代物だ。
 ティアナはこれを利用するつもりなど僅かにもなかった。いざという時の奥の手としても考えてなどいない。
 最後まで、コレはただ持っているだけで終わらそうと考えていた。
 だが、激情に突き動かされたままのティアナは躊躇せずにエクスカートリッジをクロスミラージュに叩き込む。
 その用途や特徴などは、エクスカートリッジに封入された魔術理論がイメージとして教えてくれる。
 どういった代物なのか、どう使えばいいのか。言語ではなく頭の中に直接記載される感覚。
 それが訴えていた。これだけがエンジョイに思い知らすことが出来る、と。
 普段であれば、そんな物は意地でも使用しない。自分が研鑽し磨き上げられたものこそが強さであり、与えられた力に頼るのはティアナの根幹が否定する。
 しかし、この瞬間のティアナを突き動かしていたのは、ただ一つの感情だけだった。
 ああ、それは至極単純な理由、この瞬間のティアナは我を忘れるほどに、怒り狂っていたのだ。
 だからティアナは躊躇することなくトリガーを引いた。
 弾丸は出ない、その代わりとでも言うかのように膨大な魔力が周囲に収束する。
 虹色に輝き周囲に漂う異常なまでの魔力素が、押さえ込むことを目的として備えられた制御機構を反転させたのだ。
 暴走の原因となる余剰魔力を弾くのではなく、あえて呼び寄せる。
 それはともすれば自殺行為と呼ばれる類の行動だ。いや、始めからその危険性は示唆されている。
 過剰な魔力を自分の体内に蓄えるという行為は術者に想像以上の負担を強いる。この瞬間もティアナは自分の器以上の魔力量に猛烈な酩酊感を味わい、意識が飛びそうになる。
 だが、それを無理矢理に抑え込み、ティアナは脳内に展開する新たな術式の名を呼んだ。
「クロスミラージュ・ガングニールフォーム」
『Yes.』
 主の言葉に従うように、クロスミラージュに据え付けられたコアが光り輝く。
 いまだに周囲を漂うに留まっていた虹色の魔力郡は、その光に導かれるように一気に収束した。
 光が爆発するかのように明滅し、暗い地下施設を真昼のような輝きが覆う。
 それを何らかの攻撃と判断したのか、エンジョイは距離を離すかのように一足飛びに後退する。全方位射撃を可能とし死角を完全に埋めたエンジョイとはいえ、クロスレンジが弱点という事実は変わらない。懐にもぐりこまれれば流石に対処の仕様がない。
 ゆえに、エンジョイはティアナが、この光に乗じて肉薄してくることを憂慮し、攻撃よりもまずは距離を離すことを優先した。
 あくまで論理的に行動するフェイスにしてみれば至極当然の反応だろう。おなじ遠距離タイプの魔道師とはいえ、ティアナに遠距離からエンジョイを打倒する手段は無いのだから。
 ――今、この瞬間までは。
 光が、ゆっくりと収まる。その中心に、ティアナは距離を離すエンジョイに追いすがろうともせずに、先程と同じ位置に立ち尽くしていた。
 だが、そのバリアジャケットの形状が変化している。
 通常のティアナのバリアジャケットとは違い、ジャケットとスカート部分が消えうせ、アンダーがそのまま晒されている。
 その代わりとでも言うかのように右肩部にから胸にかけて左右非対称の装甲が添えられていた。
 弓道などでいう胸当てにも似た鎧、その肩部分にクロスミラージュのコアたる光玉が確かな光を発していた。
 通常の装甲とは違い、バリアジャケットは魔力によって精製されるものだ。露出部分が多いからといって軽装甲というわけではない。
 だが、通っている魔力量から言ってティアナが通常使用しているバリアジャケットと比べ、遥かに装甲が薄い。いや、これは何らかの魔力攻撃に曝されればそれだけで撃墜は必至とでも言わんばかりの紙の如き装甲だ。
 では、先程彼女が取り込んだ莫大な魔力は、一体どこに消えたのか。
 その答えを示すかのように、ティアナの右腕に巨大な魔力の塊が鎮座していた。
 それはもはや彼女の元来の魔力光である橙色さえも超え、太陽の如き光色に輝いている。溢れ出る魔力光の所為で直視すら困難だが、その正体はティアナが右手に握る長槍から発せられるものだ。
 そう、槍だ。エリオが使うストラーダのような突撃槍とはまた違う、細く、長く、ただ一点を突き破る為だけに存在する長槍がいまティアナの手の中に握られていた。
 そこに、全ての魔力が注がれている。
 エクスカートリッジによって収束された暴走魔力どころではない、ティアナ自身の魔力すら注ぎ込まれ、さながら溶鉱炉の如き禍々しい光を放っている。
 それがどれほどのものか、対峙するエンジョイは恐れの表情はけして見せなかったものの、論理的に思考した結果ではなく、気圧されるように一歩後退する。
 だが、そこからの反応は流石というべきか、素早く左手の砲身をティアナに向けると黒い魔力光が銃口を中心に収束し始める。
「カカッ、カカカカッ!!」
 微笑むように、囀るように呪文を唱えるエンジョイ。それに合わせるように先程から宙に漂ったままの無数の鉄板の中央に描かれた魔法陣が薄っすらと光を放ち始めた。
 ティアナに予測できていたかどうかは定かではないが、エンジョイの切り札であるこの鉄板は、攻撃だけではなく防御にも優れている。
 転移魔法を利用し、エンジョイの思い描く方向に砲撃を曲げる鉄板は、そのまま敵の砲撃にも適用される。つまるところ相手の砲撃を意図的に曲げることが可能なのだ。
 今までそれを利用しなかったのは、ティアナがそれすらも必要としない敵としか見られてなかったからだろう。だが、ここにきてティアナが保持する圧倒的なまでの魔力量にエンジョイは万全を期すことにしたようだ。
 本気を出したエンジョイは遠距離魔法戦において絶対的なまでの立場に据えられる。他のフェイス達が束になったとしても、遠距離戦においてこの魔法を使用したエンジョイを打倒できるものなど存在しない。
 だからだろうか、エンジョイはこの戦闘において、いやその生涯において始めて自分が絶対的に有利な立場にいることに満足したのか、微笑むかのようにほんの僅かだけ口の端を歪めた。
「なに、笑ってんのよ……」
 それを指摘するかのように、ティアナが呟く。
 やはり、その膨大な魔力は元よりティアナの力量を遥かに凌駕しているのか、苦しそうに、辛そうに呟く。
 そんなティアナの姿を、どう受け取ったのだろうか。エンジョイは高らかに吼えた。
「クカッカカカカカカカカッ!」
 それは、もはや詠唱でもなんでもない。ただの感情の爆発だった。
 そしてその微笑に合わせるかのように、エンジョイの砲身から巨大な魔力砲の一撃が放たれる。
 黒い極光はティアナではなく、近くに浮遊していた鉄板に打ち込まれ、あっさりと飲み込まれる――かと、思うとその光は別の鉄板から突如として出現したかと思うと、再び新たな鉄板の元へ。
 もはや直線的な攻撃ではない、ティアナに回避されぬように魔力砲の光は部屋の中に存在する鉄板から鉄板へと飛来し、地下の空間を縦横無尽に奔る。
 どこから飛来してくるのか、もはやティアナにさえ予測は出来ない。だがその終端が自分自身であることだけはティアナにも理解することは出来た。
 だが、もはやそんなことは関係ない。避けることなど、逃げることなどティアナは既に思考の中から投げ捨てている。
 彼女はただ敵を打倒する為だけに、宙を漂う鉄板でも、部屋の中を交差する砲撃でもなく、エンジョイの姿を見詰め続けていた。
「禍人達に、破滅の光を。星よ流れろ、数多を貫く輝きとなれ――」
 小さく、小さくティアナは呟く、あの人に教えてもらった技。最後に修めるはずだった、星の光。
 それは未だに、小さく弱く、瞬きの間に消えてしまうものでしかない。
 まったく、こんなものでは全然足りない。この程度で敵うわけがない。
 だけど、だからこそ――何もかもを履き違えている敵に思い知らせるにはちょうどいい。
「穿て、流星――」
 魔力が収束する。エクスカートリッジにより溜め込まれた魔力の上に、更に周辺に漂う魔力を収束させる。
 魔力はティアナの右腕へと集まり、その手に握られた長槍はもはや一つの星と化す。
 ティアナは星となった長槍を担うように担ぐ
 ならば、やるべきことは一つだけ。迷うことも、躊躇う意味も存在しない。

「スターダスト・ブレイザー!!」

 空を名もなき小さな星が駆け抜ける。
 ティアナの腕から放たれた長槍を核として魔力の塊たる砲撃は宙を疾駆する。
 触れるものを全て破砕する破壊の流星となって。
 始めに犠牲になったのは、こちらへと向けて突き進んでいたエンジョイの砲撃だった。
 放たれた砲撃同士が克ち合う――そんな当たり前の光景が繰り広げられるわけがない。
 エンジョイの砲撃はまるで荒波に飲み込まれる小石かなにかのように、あっさりとティアナの放った流星に食われる。
 蒸発するように消えるエンジョイの砲撃魔法。衝突による減衰さえ行われない。
 ティアナの放った一撃は、ただ直線的に敵を目掛け一直線に駆ける。
 その光景をどう判断したのだろう。エンジョイは右腕で宙に文字を描くかのように動かすと、周囲に散らばっていた鉄板群が彼女を守るようにティアナの砲撃の斜線上に集う。
 中央に描かれた魔法陣が歪に歪み、重なり合った鉄板群にひとつの巨大な転移魔法陣を描きなおす。
 エンジョイの砲撃はあっさりと破られた、だが未だに策は尽きていない。自分の砲撃が通用しないというのならば敵の砲撃を利用すればいい――そんな魂胆なのだろう。
 ティアナの一撃を転移魔法陣を利用して、反射させる。そうすれば自分の勝ちだとでも言うかのように。
 ――それは、まるで理解していない。あまりにも愚か過ぎる選択だった。
 ティアナの一撃はそのような転移魔法如きに飲み込まれるような華奢なものではない。
 天駆ける流星の軌跡を捻じ曲げようなど、愚考というほかありはしないのだ。
 だから、それが自然の摂理だとでも言うかのように、ティアナの砲撃はあっさりとエンジョイの展開した鉄板を打ち砕いた。
 星が、駆け抜ける。それは至極あっさりとエンジョイの身体を飲み込み、更に突き進む。
 まるでそこが、その程度がゴールではないとでも言うかのように、僅かにホップする軌道を描いた光の束は暗い地下施設の天井を破砕。
 空に向けて一筋の光条が走り立つ。その一撃は遥か彼方、天へと帰るかのように飛び去っていった。



 ●



 光が空間に溶け込むように消えうせる。後に残ったのは滑り落ちてくる膨大な瓦礫と、天井から差し込んでくる夜空から差し込む淡い星の光だけだった。
 エンジョイは、その下で倒れ付していた。瞬時に再生の始まるはずの身体は言うことを聞かず、震えるように僅かに動くだけだ。
 身体ダメージは酷いが、再生に必要な魔力の方も枯渇している。全て先程の一撃に持っていかれたのだろう。
 瞼ひとつ満足に動かすことも出来ずに、ただ仰向けの姿勢のまま穴の開いた天井から垣間見える。
 いつの間にか夜の帳が落ちていた。周囲に存在する星明りが散りばめられた夜空だ。
 それを美しいと感じる心はエンジョイには存在しなかった。
 ただ、ゆっくりとその視線を遮るかのように現れた人影の姿を見て、自分の存在がここで終わりを告げるという事実だけは理解することができた。
 人影は、既に銃型にもどったデバイスの銃口をこちらに向けている。
 それに対抗する手段をエンジョイはもう、持ち合わせていなかった。
 それでも、エンジョイは、それがどのような思考の元にたどり着いた結論かはけして最後まで理解することは出来なかったが、残った全ての力を使って――
「――カカッ」
 微笑んだ。




>TO BE CONTINUED


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