魔法少女リリカルはやて テスタメント 2-01


 白天の夜空がある。

 轟々と吹き荒ぶ吹雪。そこに降り注ぐ星光は宙を舞う雪の間を乱反射し、いまや視界の全ては白い闇へと埋め尽くされていた。 
 天も地も染める、どこまでも続く純白の空。その穢れのないキャンバスを汚すかのように、一筋の閃光が夜空に墨色の軌跡を描いていた。

 それは黒き六枚翼をはためかせ、凍えた空気を裂くように飛翔する一人の少女。
 八神はやて、だ。彼女は上下も判然としない白色の中を、焦りの表情を浮かべながら飛行していた。
 その目的地は判然としない。ただ彼女は数メートル先の視界も確保できぬ白い暗闇の中を、がむしゃらに飛んでいる。

 ――まるで何かから逃げるかのように。

 瞬間、それがやってきた。
 空を行くはやての後方斜め上。鉄色の鈍い輝きに、広がる白い闇が裂くように斬り払われたのだ。

 鉄色の正体は巨大な刃。琥珀色の機殻に包まれた、はやての身長にも匹敵するかのような巨大斧。
 それに設えられた刃が空間を断裂するように振るわれたのだ。

 空を裂く音。そして何よりもうなじの辺りを刺激する強烈な気迫に、はやては背の六枚翼を駆使し身を回し、振り落とされる巨大斧の刃を正面に見据える。
 咄嗟に掲げられるシュベルトクロイツ。その上から防御用の魔法陣が光を放ち展開する……が、

「きゃあ!」

 展開した防御魔法陣はまるでガラス細工で出来ていたかのように、放たれた巨大斧の一撃にあっさりと叩き割られた。
 巨大斧の刃はそのままシュベルトクロイツへと激突し、はやてはまるで自動車に跳ねられでもしたかのように後方へと吹き飛ばされる。

 錐揉み状態に陥りながらも、なんとか空中で身を翻し姿勢を整えるはやて。
 じんと痺れる両手の痛みを感じながら、氷点下に近い気温の中、額にじわりと汗が浮かぶのを感じる。

 ふんばりの効かない空中での激突だったことが幸いした。
 もしこれが地上での激突ならばそれこそ一撃で終わっていたかもしれない。それほどまでの衝撃が先の一撃には篭められていた。
 強くシュベルトクロイツを握り直し、先の一撃を為した相手を正面から見据えるはやて。

 その視線の先、そこに一人の少女がいた。年齢は二桁にも満たないであろう年端も行かない少女だ。
 琥珀色の髪に同色の意匠が施されたドレスタイプのバリアジャケット。

 そしてその右手には自身の身長を遥かに超える巨大な斧型デバイスが確かに握り締められていた。
 プリメラ、と自らそう名乗った彼女は空いた手で瞳に浮いた涙を拭いながら震える声を紡いでいる。

「ぐすっ……やだよぅ、こんなこと……やりたくないのに」
「ほならっ、おとなしゅうせぇ!」

 ぐずぐずとしゃくりあげるように涙を流すプリメラ。だが、彼女が見た目どおり、ただの幼い少女でない事は既に実証済みだ。
 故に、はやての行動は淀みなく行われた。彼女がシュベルトクロイツを振るうと目前に射撃用のスフィアが展開。
 間髪居れずに幾つもの光弾がスフィアから放たれ、プリメラ目掛け宙を疾駆する。

 はやてによるブリューナクの連打。連射の効く基本的な射撃魔法の一種で、一撃一撃の威力はそれほど高くはない。
 それでも数十もの光弾を一度に浴びれば一線級の魔導師とて一溜まりもない――筈なのだが、その攻撃はプリメラの前にノーモーションで展開した光の壁によっていとも容易く弾かれる。

「ひっ! ひぅぅ……」

 次々と光壁に激突し、弾ける様に消失するブリューナク。
 ひどくあっさりと響く快音に、その場に蹲るようにして両耳を塞ぐプリメラ。その姿はまるで恐怖に怯える子供そのものだ。

 だが、こちらの攻撃はまったくと言っていい程効いていない。
 光壁を展開する際、呪文を唱える素振りやカートリッジを使用した様子もないところを見ると、彼女はこのレベルの防御魔法をまるで呼吸をするかのように展開できるのだ。
 少なく見積もってもその防御能力はエースクラス――ヴィータに匹敵する程の頑強さを有している筈だ。
 その事実と、目の前で蹲り怯えるプリメラの姿にはやては眉根を寄せた困り顔で呟く。

「……色んな意味でやり難い相手やなぁ」

 事実だけを述べるならば唐突に襲われたのははやての方であり、プリメラは加害者なのだが、このシーンだけを切り取ってみると、まるで自分が一方的に幼い少女を苛めているように見えて仕方ない。
 今更良心の呵責に苛まれたわけではないが、それでもはやては攻撃を中断し――どうせ、効いていないのだ――言葉を紡ぐ。

「やめるんやったら今の内やでっ! こんな事やりとうないんやろっ!」

 糾弾するように強い調子で告げるはやて。
 その言葉にプリメラはビクッと肩を震わせ、怯えた表情を隠さぬままブンブンと強く首を左右に振る。

「そ、そんなのダメだよ。だ、だってそんなことしたらエクセルに怒られちゃうもん!」

 瞳に涙を溜めたまま叫ぶプリメラ。
 対しはやては表情に出さないようにと気をつけながらも、プリメラの告げたエクセルという名を脳裏に刻みつつ、思考を巡らせる。

 ――この調子で色々喋ってくれたらありがたいんやけどなぁ

 今の今まで手がかりのなかったはやてにとってこの少女は正に恰好の情報源だ。
 できればこのまま泳がせるか、無傷のまま拿捕したい――というのがはやての思惑だ。

「この辺りの魔導師や騎士のリンカーコアから魔力を奪ってんのもアンタらの仕業なんやろ」

 反応は劇的。こちらの言葉にびくりと身を震わせた彼女は誰かに救いを求めるように周囲を見回す。
 もちろん、この場にははやてとプリメラ以外誰もいない。
 頼るべきものがいないと思い知ったのか、プリメラは瞳に涙を浮かべたまま、

「ち、ちがうもん……そんなの知らないもん」

 健気にも涙目のまましらばっくれるプリメラ。それに対しはやては余裕を見せ付けるように鼻をならし、

「はぁん……昨日、ここでアンタ等が騎士団の連中を襲うとこを見た目撃者もおるんやけどなぁ」
「う、嘘だよ! だ、だってあの時はちゃんと結界を張っていたもん! だ、だまされないんだからなぁ!」
「……おもろいくらいに自爆すんなぁ、この子」

 もちろん今のは嘘だ。
 しかしあまりの情報のダダ漏れっぷりに敵対関係にある筈のプリメラの将来がなんだか心配になってくるはやて。
 どちらにせよ、聞いておかなければならない事は一つ。

「なんで、私を襲う。どこで私の名前を聞いた?」

 その言葉に肩を震わせ狼狽するプリメラ。
 彼女が、ただ単に魔力保有者を狙ってきたのならば予定通りだ。SSランクという破格の魔導師を囮にして、この事件の犯人をおびき出す、というのがそもそもの作戦なのだ。
 だが違う。プリメラは襲い掛かって来る前に、まるで確認するかのようにこちらの名を呼んだのだ。

 ――餌に引っ掛かったのは、私の方ってわけか。

 これまでがどうかは知らないが、今のプリメラの目的は単なる魔力ではない。八神はやてという個人を狙いすました行動だ。
 考えられるのはこの事件そのものがはやてをこの場に誘き出す為の罠という仮定。
 だが、それにしては仕掛けが大袈裟すぎる。その為だけならこれほどの事件をわざわざ起さずとももっとやりようがあった筈だ。

「あんたらは……いったい何が目的なんや?」

 真正面から尋ねてみる。対峙するのが彼女ならば、もしかするとあっさり目的を明かすかもしれないという期待を篭めての問い掛け。

「ボ、ボクの……ボク達の……目的?」

 その問いに対し、こちらに応えるのではなく、自問するように呟くプリメラ。
 小さく唇を噛んだ彼女は、震える身体をそのままに、しかし巨大斧を持つ両手をぎゅっと握り締める。

「だって……だってボクがやらなきゃ――が……」

 僅かにボソリと何かを呟くプリメラ。だが、その声は吹き荒ぶ風の音に掻き消されはやての下にまで届かない。
 だが、その唇の動きが、ある人物の名を紡いだのをはやては確かに見た。

 その瞬間だった。背筋を貫く怖気に反射的に身を震わせるはやて。
 ヤバい、と本能が警告を発する中、プリメラとの距離を少しでも離そうとはやては背後へと飛翔する。

「――バルムンクッ!」

 同時にけん制の意味を篭めてシュベルトクロイツを振るうはやて。横一文字に描かれたその軌跡をなぞるように、光の刃が扇上に展開する。
 バルムンクによる一斉射撃。ブリューナクの光弾と比べれば弾速も遅く、連射は効かないが攻撃力が高く、同時に複数展開すれば敵の接近を阻む壁となる攻勢防御に秀でた魔法だ。
 扇上に広がった八本の魔力刃は、間隔を空けぬまままるで光の牢獄を形成するようにプリメラへと迫る。

「ボクが、やらなくちゃいけないんだっ!」

 けれど、その刃の群れが見えていないかのように、大気を蹴るようなスタートダッシュで空中を駆け、こちらへと真っ直ぐ跳躍するプリメラ。
 最短距離を真っ直ぐ突き進む軌道。けれどそれは放たれたバルムンクの射線上に飛び込む行為に他ならない。
 けん制の一撃とは言え、直撃すれば並の魔導師なら撃墜は必至。それは本来ならば針の山に自ら飛び込むような愚行だ。

「――ッ、冗談ッ!」

 けれど、目の前で起きた事実にはやては引き攣った笑みを浮かべる。
 プリメラは真っ直ぐこちらへと突き進んできたのだ。
 こちらの放ったバルムンクの刃を、まるで路傍の石のように避けもせずに弾き飛ばしながら、ただひたすらに。

 原理はACSのようなバリアチャージ――魔力防壁を身に纏ったままの突撃攻撃(チャージアタック)なのだろう。
 バルムンクの刃はプリメラの矮躯に触れる直前、粉々に砕け光の粒子を夜空に撒き散らしていた。

 だが、それにしても彼女の行ったソレは規格外だ。一、二撃ならともかく、張り巡らされた刃の壁を攻勢防御で乗り切るなど尋常ではない。
 それこそ冗談のような光景だ。
 そうしてプリメラは最高速度で光の刃を蹴散らすと最短ルートではやてとの距離を一気に詰める。

「穿って……カイゼルベルン」
《Ein schlagen》

 振りかぶられる巨大斧。中心に据えられた琥珀色の宝玉が鈍く光るのと、はやてがシュベルトクロイツを咄嗟に構えるのがほぼ同時。
 次の瞬間、破砕の音と共に衝撃が走った。

 はやてのプロテクトバリアをまるで紙のように裂きながら、唐竹割りの容量で縦一閃に振り切られた巨大斧(カイゼルベルン)の一撃は、シュベルトクロイツを半ばから叩き折り、更にはやての身を派手に吹き飛ばした。

 先の一撃を更に越える衝撃に吹き飛ばされ、直線的な機動を描いたまま眼下の大地向かって斜めに突き刺さるように墜落するはやて。
 降り積もった雪が墜落の衝撃に盛大に舞い上げられ、周囲の視界を更に白く染めていく。

 ――やばっ、油断した。

 地面が柔らかい雪原だった為に墜落時のダメージは殆どない。だがプリメラの放った一撃は杖だけではなく、こちらの騎士甲冑すら破壊し、その衝撃は全身を貫いている。打ち所が悪ければそれこそ死んでいたかもしれないような破壊力だった。
 意識消失だけはなんとか免れたが、最早指先一つまともに動かせる状態ではない事をはやては自覚する。

 こちらの予想を遥かに超えるプリメラの潜在能力を見誤った己のミスに唇を噛むはやて。
 そこへ雪煙を割って、プリメラが空から舞い降りてきた。

「お、大人しくしてて……こ、これ以上痛いのも怖いのもヤだよ、ね……だから、じっとしてて」

 圧倒的優位な状況に立ちながらなお、何かに怯えるようにオドオドと視線を彷徨わせるプリメラ。
 だが、巨大斧の切っ先だけはしかとこちらに向けられていた。

 その圧倒的な威圧感に、どう抗った所で逃げ切れないと悟るはやて。
 改めて、自分がこの事件に関して焦っていた事を痛感させられる想いだった。

 ――先走った結果がこれか……みんな、ごめんな。

 結界内に閉じ込められている以上、思念通話は届かない。
 だからはやては心の中だけで自分の身を案じてくれるであろう守護騎士達にそんな言葉を告げた。

 その刹那の事であった。

「うおおおおおおおらああっっ!!」

 裂帛の叫びが空間を震わせる中、突然はやての背後から雪煙を切り裂いて紅い影が飛び出した。
 現れたのは真紅の花の如きたおやかな身。
 だがしかしその赤の色は一陣の疾風となってはやての脇を通り過ぎ、そのまま眼前のプリメラへと一瞬で接敵。手にした鉄槌が大きく振りかぶられる。

《Raketenhammer》

 ハンマーヘッドに展開した推進器から爆炎が吹き上がり、生まれた朱の色をそのまま加速の為の力へと変わり発射される。
 円弧を描くように高速で振り切られた一撃は咄嗟にプリメラが構えたカイゼルベルンの腹に激突。

 快音一打。

 鈍い金属音が白天の夜空に澄んだ音を響かせる。
 だが、鉄槌から吹き上がる爆炎は収まることなく、更に激しく火を吹く。

「うらああああっっ!!」

 轟く咆哮。その勢いのままに鉄槌は振り切られ、プリメラの小さな身体はあっさりと宙に浮く。
 その勢いにざっと三メートルは吹き飛ばされながらも、宙で姿勢を整え難なく着地するプリメラ。
 怯えの表情を見せてはいる者の、やはりその動きは歴戦の戦士そのものだ。
 彼女は油断なく巨大斧を構えると、震える声で突然の闖入者に向け言葉を放つ。

「……だ、だれだよおまえ……? は、はやての仲間……?」

 強く冷たい風が吹く。その勢いに圧され、周囲に立ちこめた雪煙は風に運ばれ消えていく。
 そうして現れたのは真紅の衣装に身を包んだ、小さな少女。

 しかし誰よりも勇敢な鉄槌の騎士である彼女は、愛機グラーフアイゼンを構え、告げる。

「仲間じゃねえ――――家族だっ!!」

 守護騎士が一人、ヴィータが己の主を守る為に今、戦場に駆けつけた。



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